御会式
去る平成27年11月15日(日)の午後2時より、松戸本覚寺にて日蓮聖人第734遠忌御会式法要を行いました。前日から当日の朝方まで雨が降っておりましたが、昼前には止み、法要が始まる頃になりますと大分天気も回復いたしました。
法要に先立ちまして住職からの挨拶があり、その後檀信徒の皆様と一緒にお経を読み、お題目をお唱えいたしました。
本覚寺の年5回の行事の中では最もお参りに来る方が少なく、当日は30名程の法要となりました。しかし、今回初めて本覚寺の行事に参加していただいた方が2組こられ、当山の行事の雰囲気がよくわかり、今後も参加したいとのお声を頂戴いたしました。
法要後には、副住職である私より御会式に関する法話をいたしました。何を話したか忘れてしまう可能性が高い為、この場をお借りいたしまして掲載させていただきます。
御会式と銀杏
本日は宗祖日蓮聖人の第734遠忌法要にご参詣くださり誠にご苦労さまでございます。日蓮聖人は、弘安5年(1282)年10月13日に東京の池上の地において61歳の御生涯を閉じられました。
当山本覚寺では月遅れの11月に例年御会式法要を行っております。日蓮聖人が亡くなったのは確かに10月13日ですが、当時の暦と現在の暦は異なっておりますので、お寺によっては亡くなった当時の旧暦に近い11月に御会式法要を行うところも多いようです。
東京の池上本門寺では10月12日から13日にかけて、万灯と呼ばれる纏を振りながら行列が行われております。また、鬼子母神で有名な雑司ヶ谷の法明寺などでは10月に御会式法要を行っております。雑司ヶ谷の法明寺で御会式の際に通りで火事が発生し、大変な騒ぎになったというニュースを見聞きした方もおられるのではないでしょうか?
なぜ紅白のお祝い餅?
今回初めての試みとして、お持ち帰り用の紅白のお餅をご用意いたしました。妻から「なぜ日蓮聖人が亡くなった法要なのに紅白のお餅なの?」という質問があり、そう言われれば確かにその疑問は的を得ております。
御会式とは、ブリタニカ国際大百科事典によれば、
仏教の法会 (ほうえ) の儀式のこと。とりわけ日蓮宗では日蓮の正忌日に修する法会をお会式と称し,毎年 10月 12,13日の2日間各派寺院で修法を行じる。日蓮の入滅の地である東京都大田区池上本門寺と杉並区堀ノ内妙法寺は最も盛ん。
となっております。
そもそも御会式とは、「法会儀式」に丁寧語の御を加えたものです。「法会」も「儀式」もともに同じような法要と意味になりますので、これだけではあまりよくわからないですが、日蓮聖人に対する感謝の気持ちを表す報恩の儀式というものがこの御会式に含まれております。
加えて、700年以上という時間の経過とともに、日蓮聖人がお亡くなりになったことを悲しむというよりは、日蓮聖人に感謝するそのような意味合いがこの御会式にあります。「大難4ケ度、小難数知れず」と日蓮聖人は身命をかけて、法華経・お題目を後世の我々に残されました。
御会式とは、宗祖日蓮聖人の恩に報い感謝する感謝祭的な意味合いがあるからこそ、紅白のお餅をお供えする、そのように自身は解釈しております。
天文法難
さて、日蓮聖人がお亡くなりになって733年もの間、その信仰が脈々と伝播し、現在でも日蓮聖人の教えが伝わっておりますが、その間順風満帆にきたのかというと、そうではありません。
特に時の権力者と対峙しながら、ある時は弾圧され、かろうじて残ってきたという事実もあります。
かつて室町時代には京都では法華信仰が隆盛し、京都市内には21の本山が建立されるほどでした。数年前の身延山大学で行われた日蓮宗甲種検定試験では、問題の1つに、京都の21本山を記述することが必須でした。
- 妙顕寺
- 上行院
- 住本寺
- 本國寺
- 妙覚寺
- 妙満寺
- 宝国寺
- 本禅寺
- 本満寺
- 本能寺
- 立本寺
- 妙蓮寺
- 学養寺
- 本覚寺
- 本法寺
- 頂妙寺
- 妙伝寺
- 本隆寺
- 弘経寺
- 大妙寺
- 妙泉寺
私自身京都で13年ほど生活をしておりましたが、日蓮宗のお寺は観光寺院であることがほとんどなく、あまり観光するということはありませんでした。京都といえばお寺はたくさんあり、清水寺、金閣寺、銀閣寺、建仁寺等、観光で脚光を浴びている日蓮宗寺院は皆無といっても過言ではありません。上記4番目に掲載されている大本山本圀寺は、現在では山科の地に移転しておりますが、少し古い京都の地図を見ると、現在の京都の駅前、西本願寺のあたりにはかつての本国寺がかなりの広い敷地を有しておりました。残念ながら当時の面影は大分薄らいでおりますが、室町時代には京都の町衆の支援を受け、法華経の信仰が浸透していたというのは事実です。
しかし、天文5年(1536)に延暦寺及びそれに加担する勢力により、日蓮宗寺院は壊滅状態に追い込まれ、21ケ寺の本山は全て消失し、大阪の堺へと逃れる事態が起きました。これが「天文法難」と呼ばれる法難です。
今回の法話では、天文法難のみに言及いたしましたが、江戸時代には隠れキリシタン同様、日蓮宗に対する弾圧も行われ、「不受不施派」と呼ばれる地下組織に日蓮宗が分裂することもありました。
日蓮宗と銀杏?
ようやくここで本日の本題です。日蓮聖人がお亡くなりになり、現在まで733年の時が経過しておりますが、今日の日蓮宗があるのは、日蓮聖人をはじめとする幾多の先人達がおられたからこそであり、それが「銀杏」にとても似ていると気付きました。
日蓮宗と銀杏が似ているかと思ったことの発端は、11月13日に本山の御会式に向かう車中に東京FMが耳に入ったことに起因いたします。
そのラジオでは銀杏に関する話を特集しておりました。銀杏の木は太古の昔、一説には2億5千万年前にこの地球上に誕生したといわれております。現在では日本中のあちこちで銀杏を目にすることができますが、実は一時は存亡の危機に瀕していた時期があったとか。氷河期に恐竜が絶滅したことは周知の事実ですが、銀杏もその氷河期にかなりの数が絶滅し、かろうじて中国に生き残ったそうです。その後、鎌倉時代に中国から日本へと銀杏の木が植えられ、さらに18〜19世紀になってヨーロッパにも渡ったそうです。今日では様々な地域で、銀杏の木を目にすることができます。それが当たり前と思っておりましたが、銀杏の歴史を辿ってみると、一時は存亡の危機に瀕していたというのがとても意外に感じました。
銀杏は水分を多く含んでいることから、いざ火事となっても延焼防止に役立つということで日本中の寺社仏閣に多く植えられておりますが、実はこうして目にすることができるのも銀杏の木の持つ生命力、特に匂いを発して外敵から種子を守るその防衛本能に由来し、紆余曲折を経へ今日まで至っております。
日蓮宗の歴史を遡れば、天文法難を一例として様々な迫害に遭遇してまいりました。今日このように法華経・お題目の信仰に触れることができるのも、枚挙に暇がないほどの先師先哲、そして檀信徒の方々による信仰の力によるものです。
このように考えると、今日この本覚寺において法華経を読誦し、お題目をお唱えすることができるのも、多くの人々の功績によるものであり、その最大の功労者が日蓮聖人に他ありません。銀杏の木を題材として、本日の御会式を迎えられたことは、これまで以上にその意味を考えるものとなり、また日蓮聖人に対して改めて報恩感謝の誠を捧げるという意味を確認する機会となりました。
法華経・お題目の弘通は、僧侶のみの力ではなし得るものではありません。江戸時代の頃より代々法華の信仰が脈々と上本郷の地に継続して受け継がれ、現在の本覚寺の歴史を刻んでおります。本日は30名強という少ない方々での法要となりましたが、少しでも多くの方に日蓮聖人の教えが正しく伝わることを切に願い、本日の法話とさせていただきます。