法事・芋掘り
本日は松戸中央霊園にて法事が2件あります。
その後は海徳寺住職としての仕事です。
7:00
本覚寺にて朝勤です。本日の日蓮聖人の御遺文は『聖愚問答抄』です。
今日は次男のみ出仕です。
聖愚問答抄
命を釋尊と法華経に奉り、慈悲を一切衆生に與えて謗法を責むるを、心えぬ人は口をすくめ眼を瞋らす。汝實に後世を恐れば、身を軽しめ法を重んぜよ、是を以て章安大師云く「寧ろ身命を喪うとも教を隠さざれ、身は軽く法は重し、身を死して法を弘めよ。」此文の意は身命をばほろぼすとも正法をかくさざれ、其故は、身はかろく、法はおもし、身をばころすとも法をば弘めよとなり。
日蓮聖人御遺文『聖愚問答抄』
9:00
アスファルトの舗装作業の最終日を迎えました。
昨日までは古いアスファルトの撤去をしたのちに、重機にて地面を平らにしていました。
今日はアスファルトを敷いて完成となります。大勢の作業員の方が朝から集まっています。
10:00 松戸中央霊園
松戸中央霊園にて3回忌法要と埋葬・49日忌法要です。
14:00
香取に向かいました。
今回は久しぶりに家族揃っての移動です。途中道の駅くりもとに立ち寄り、昨年に引き続きの芋掘りです。
16:00 日講聖人遭難之墓
昨年来た時にも気になっていたのですが、道の駅くりもとの脇にお墓が。村墓地のようなものかと思っていたら、お題目が書かれた石塔がありました。
日講聖人遭難之墓でした。隠れキリシタンと同様に幕府に弾圧された不受不施派の信仰がこの地にあったことを知りました。
日講聖人は中村檀林(現在でいうところの大学)において研鑽を積まれ、その後野呂檀林にて学徒を養成されたとの説明が。
ここ数年本山野呂妙興寺のお手伝いをさせていただいておりますので、そのような説明を見ると、何かのご縁を感じました。
法華経を信仰する以外の人にはすべての施しを受けず(不受)また施しもしない(不施)という主義主張の不受不施派は京都の僧日奥がはじめた日蓮宗の一派ですが、その主張活動は幕府より禁じられ、三百余年の長い弾圧を受ける宗門となった。寛永5年(1665)同派の日講は佐土原へと流罪となったが、一萬部読経を成就されました。この万部塔は日講の遷化後弟子の日念等がその意志をつぎ宝永2年(1705)に建てたものです。
しかし、寛政6年(1794)当時の支配者への内通により石塔は三日三晩焼かれ、そして打ちくだかれ土中に埋められました。
その後明治9年(1876)その宗教活動が許され、沢の信徒や堀越義昌が掘り出し、組み合わされました。
そういえば、道の駅くりもとには日蓮宗に関連するポスターが貼られています。昨年の時にも目に止まったのですが、日講聖人の石碑が傍らにあることを鑑みると、この地には法華の信仰が脈々と伝わっているような気がいたしました。
18:00 海徳寺
海徳寺にて夕勤ならびに明日の卒塔婆の準備です。