日蓮宗本山 金栄山妙成寺 | 加賀百万石前田家ゆかりの寺

日蓮宗本山妙成寺

日蓮宗本山 金栄山 妙成寺

【所在地】石川県羽咋市滝谷町ヨの1番地

はじめに

北陸にも日蓮宗の本山があることは知ってはいましたが、なかなかお参りする機会がなかったというのが実情です。先日、金沢を訪問する機会があり、せっかくなので羽咋市にある本山妙成寺さんに行ってまいりました。日蓮宗新聞の下段に掲載されている妙成寺の五重塔が長年気になっていたので、実際に覧てきました。

本覚寺副住職
本覚寺副住職

今回お参りした成果として、「羽咋」を「ハクイ」と読めるようになりました。また、羽咋法華、七尾法華と呼ばれるほど、能登の地でも法華経信仰が盛んな地があることも知りました。

本山妙成寺 五重塔
本山妙成寺 五重塔

妙成寺の特徴

妙成寺の特徴
  1. 前田家ゆかりの寺
  2. 開祖が日蓮聖人の孫弟子・日像上人
  3. 重要文化財10棟
  4. 五重塔が見事
  5. 創建以来一度も火災に遭っていない
本覚寺副住職
本覚寺副住職

以下の文章は、日蓮宗新聞社『日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねてー日蓮宗本山めぐりー』および妙成寺にて頂戴しましたパンフレットを参照しました。

歴史

永仁2年(1294)宗祖日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、京都弘通のため、佐渡から能登七尾港へと向かう船中で、能登石動山天平寺座主・満蔵法印と法論したことがそもそもの始まりです。この法論を機として、満蔵法印は、日像上人の弟子となり、日乗と改名いたします。

日像上人と日乗上人は、石動山にて法華経に帰依するように教えを説きます。しかしながら、却って迫害に遭い、命からがら現在の妙成寺の地である滝谷へと逃れます。

石動山と妙成寺
本覚寺副住職
本覚寺副住職

ふと疑問に思い、石動山とはどんなとこかを調べたところ、かつては能登における修験道の中心であり、最盛期には360の坊があったそうです。添付した画像のように、現在の妙成寺の地からはかなり離れた場所のようです。

帝都弘通の使命がある日像上人は、鎌倉より携えた槐(えんじゅ)の杖を地にさし、「この枝より芽を出すことがあれば、この地に一寺を建立せよ」と日乗上人に言い残し、京都へと向かいます。

その後、杖から芽が出るという奇瑞が起こり、日乗上人は、伯父柴原法光を筆頭に近隣の人々の支援を受けて妙成寺を建立。「日像弘法最初の霊地」がこの妙成寺です。

前田家の外護

天正9年(1581)、妙成寺第11世日充上人の代に、前田利家が能登を領有し、領内巡視の折に妙成寺を参詣。寺領を寄進して武運長久・領内安全祈願所と定めた。

特に、3代藩主前田利常の生母・寿福院は、深く法華経に帰依しており、妙成寺を菩提所と定め、篤く外護に努める。

5代藩主前田綱紀の頃には、七堂伽藍が整い、北陸屈指の巨刹となる。諸堂建立の工匠は前田家御用大工である坂上一統。

長谷川等伯が描いた「仏涅槃図」や「日乗上人像」等も所蔵している。

妙成寺の写真

本覚寺副住職
本覚寺副住職

以下の写真を掲載しつつ、妙成寺諸堂のいわれを調べていたところ、公式ホームページに丁寧な説明がありました。一番わかりやすかったです。参拝前に見ておけば良かったと後悔しています。

浄行堂

妙成寺内 浄行堂
妙成寺内 浄行堂

受付を過ぎてすぐ左手に見えるのが浄行堂です。

浄行菩薩とは法華経に出現する菩薩で、水が垢や穢れを清めるが如く吾々の煩悩の汚泥を除く

古来この菩薩に水をそそぎたわしでこすって願いをかけてきた

当山開山日像菩薩は浄行菩薩の垂迹といわれている

妙成寺パンフレット

二王門 国指定重要文化財

妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門
妙成寺内 二王門

二王を安置するから二王門とも云う。

伽藍守護の神で開口の阿形(あがた)を金剛像、閉口の吽形(うんがた)を那羅金剛像と云う。寛永二年(1625)造立。禅宗の重層三門とは対照的で右手の鐘樓と共に室町時代日蓮宗建築の代表的なもので、初重に屋根のない二階造りの樓門と袴腰のある鐘樓がよくその特徴を表している。

閣上山号は加賀藩書家の佐々木志津摩の筆。

仁王門前掲示板

開山堂 石川県文化財

妙成寺内 開山堂
妙成寺内 開山堂

延宝5年(1677)の建立。歴代供養笠塔婆を安置してある堂内には、中世造立の石造笠塔婆7基を安置し、その内3基は市文化財に指定。

妙成寺パンフレット

開山堂 国指定重要県文化財

妙成寺内 経堂
妙成寺内 経堂

寛文10年(1670)に4代藩主前田光高(みつたか)公の遺願によって建立。前1間通りを吹放しとし、他は板壁を以て構成。天海版一切経を納める。北陸地方最古の法華経版木(応永22年)を蔵する。

妙成寺パンフレット

五重塔 国指定重要県文化財

妙成寺内 五重塔
妙成寺内 五重塔
妙成寺内 五重塔
妙成寺内 五重塔
五重塔前 掲示板
五重塔前 掲示板

元和元年(1615)起工、元和4年竣工、前田家御用大工棟梁坂上越後守嘉紹の手に依る。姿体よく誠に均整のとれた名塔と云われ、4面扉の彫刻は特に美麗を極め、北陸地方唯一の重文指定の塔であり、江戸時代初期の代表的傑作の1つである。露盤下まで高さ二七・二七米。総高三四・一八米である。

五重塔前掲示板

丈六堂(釈迦堂) 石川県文化財

妙成寺内 丈六堂
妙成寺内 丈六堂
妙成寺内 丈六堂
妙成寺内 丈六堂
妙成寺内 丈六堂
妙成寺内 丈六堂

貞享3年(1686)建立。丈六(約5メートル)の立像の釈迦牟尼仏を泰安してある。重層入母屋造柿葺(こけらぶき)堂の傍らに閻魔堂あり。

妙成寺パンフレット

三十番神堂 国指定重要文化財

妙成寺内 三十番神堂
妙成寺内 三十番神堂(拝殿)

慶長19年(1614)の建立。桃山時代の技法をよく表している。一説に京都北野天満宮より移建したと伝えられ、洗練された美しさを有する。内陣に日本の国神30体を祭祀するので、三十番神堂と称し、日蓮宗伽藍として重要な堂舎である。

妙成寺パンフレット

三光堂 国指定重要文化財

三光堂
三光堂
三光堂
三光堂

元和9年(1623)建立。屋根大棟両端の鬼瓦は石造で地方色をよく表わし、堂内に三光天(日天・月天・明星天)が安置されているのでこの名がある。鎮護国家の祈願が行われてきた。

三光堂前掲示板

本堂 国指定重要文化財

妙成寺 本堂
妙成寺 本堂
妙成寺 本堂
妙成寺 本堂

慶長19年(1614)3代藩主前田利常公の帰依により、前田家御用大工坂上又三郎を棟梁として建立された。京都建仁寺流の流儀により、桃山時代の雄渾な手法を遺憾なく発揮し、構成(内部・内・外陣区画)の厳格な形式など、密教風の古式な所がうかがわれる。屋根は入母屋造り柿葺(こけらぶき)。本尊は一塔両尊四天王四菩薩などである。

妙成寺パンフレット

祖師堂 国指定重要文化財

妙成寺 祖師堂
妙成寺 祖師堂

寛永元年(1624)の建立と伝えられ、坂上一統の手による建物で、唐様式を主調とし、妙成寺建築物中、出色の貴重なものである。堂内の逗子も重要文化財に指定され、宗祖日蓮大菩薩の尊像を安置する。

妙成寺パンフレット

鐘楼 国指定重要文化財

妙成寺 鐘楼
妙成寺 鐘楼
妙成寺 鐘楼
妙成寺 鐘楼

寛永2年(1625)の建立。純和様を以て造られ、袴腰と呼ばれる腰廻りの板囲いは入母屋屋根とよく均整を保っている。本堂、祖師堂、五重塔と共に日蓮宗伽藍様式を象徴するものである。

妙成寺パンフレット

日蓮宗 松戸 本覚寺