上本郷には古くからの言い伝えとして「上本郷七不思議」と呼ばれる話が伝承されております。その七不思議のうち、本覚寺と深く関わるものが「富士見の松」と「ゆるぎの松」の2つです。以下では、千野原靖方著『松戸風土記?市民の郷土史』pp.227-228を参照・引用しつつ、この七不思議についてご紹介いたします。
なお、上本郷の七不思議については、松戸市の公式ホームページでも紹介されております。詳しくは、以下のリンクを参照下さい。
参考 水とみどりと歴史の回廊マップ(上本郷地区)Part1松戸市公式ホームページ
富士見の松
上本郷の七不思議の1つに数えられる富士見の松は、当山の境内南側の崖に面したところにあり、不思議なことに松の枝がすべて富士山の見える西へと向かって伸びていったことから、『富士見の松』と呼ばれておりました。
残念ながら昭和50年前後に松食虫の被害にあったため枯れてしまいましたが、当時の姿をご存知の方々からは、確かに『富士見の松』という名に相応しく、松の枝が富士山の方へ向かって伸びていたというお話をお聞きします。
富士見の松
ゆるぎの松
昔、上本郷の高台に枝ぶりの良い大きな松がありました。ある時、水戸黄門様の目に留まり、松の幹を撫でたところ、松はゆらゆらと揺れたそうです。それ以来「ゆるぎの松」と呼ばれるようになりました。しかし、この松は大正末期に枯れてしまいました。
八百比丘尼の話
昔、風早神社の前の六軒新田(現在の上本郷駅周辺)に住む村人6人が、長者の屋敷で行われる庚申講(こうしんこう)に招かれました。ところが一人が、「今夜のご馳走に人魚の料理がでる」という話を聞いてきました。そこで、皆で相談をして、「料理は食べずに持って帰り、途中で捨てよう」ということになったのですが、6人のうち1人は耳が遠く、話がよくわかっていなかったので、人魚の料理を捨てずに、自分の娘に食べさせてしまいました。その娘は、不思議な力をもつ人魚を食べたので、800年も長生きし、比丘尼となって若狭国(福井県)に住んだということです。後に、松戸の千駄堀の村人が若狭に旅に出た時に、この年老いた比丘尼にあったそうです。
風早神社の大杉
上本郷の風早神社には杉の大木が立っていた。この杉の木の影は遠く二ツ木村の田まで伸びていた。二ツ木村では影の当たる田の実りが悪かったので、風早神社に米を奉納したところ実りがよくなった。そこで毎年米を供えることにしたが、ある年にこれを怠ったらたちまち不作となったため、以後は毎年必ず供えるようになったという。また、二ツ木村の伝説では影の当たる田は風早神社の霊験により実りが多かったので、その御礼として毎年米を供えたと伝えられている。
切られ地蔵
明治神社のとなりの覚蔵院境内で盆踊りがあった時、みなれない大男が入り込んできて急に踊り始めた。これを見た一人の若者が怪しんで刀で斬りつけたところ、悲鳴をあげて姿を消してしまった。その翌朝境内をみると、石地蔵の胸に刀傷のあとがあったので、昨日の大男は地蔵の化身であったことがわかり、若者はびっくりして地に平伏して謝ったという。現在、この斬られ地蔵は覚蔵院が廃寺となったため本福寺にある。
二ツ井戸
明治神社から北松戸駅へ向かう坂道の途中に二つ井戸の石碑が建っている。ここには撥ね釣瓶(はねつるべ)の二つの井戸があったが、どちらか一方の水が澄んでいると、もう一方は濁っていたという。
官女の化けもの
明治神社には雷神社と刻まれた石がある。この石はもと明治神社の北方600メートルの龍善寺付近のいかずち山にあったといわれる。昔、このいかずち山に夜ごと赤い袴をはいた官女の化け物が出没したという。この山を所有すると必ずその家はつぶれて不幸に陥ったという。