令和6年京都団参の模様

常照寺

去る令和6年6月26日・27日、本覚寺と海徳寺合同での京都旅行を行いました。

天気予報があまり良くなかったのですが、なんとか両日とも雨に降られることもなく無事全行程を周ることができました。

本山 本法寺

本阿弥光悦作庭「巴(ともえ)の庭」
巴の庭

まず最初に訪れたお寺が鍋かむり日親上人ゆかりの日蓮宗本山本法寺です。

本法寺

叡昌山と号し、日蓮宗本山の一つである。

永享8年(1436)本阿弥清信が日親上人を開基に請じて創建したのが当寺の起りという。

はじめ四条高倉にあったが、天文5年(1536)法華の乱によって山徒に焼かれ、のちここに移った。江戸時代には後水尾天皇・紀州徳川家の保護を受けて繁栄し、中山法華経寺(千葉県中山にある日蓮宗本山)輪番にあたる上方三山の一つでもあった。

現在の堂宇は江戸時代後期に再建されたものであるが、本阿弥光悦作庭の「巴(ともえ)の庭」は有名である。このほか当寺は本阿弥家の菩提寺であったことでも名高く、一門の墓もあり、本阿弥光悦は多くの書画・什器をよせている。寺宝には、銭舜挙(せんしゅんきょ)筆と伝える蓮花図、郡介図・中文殊左右寒山拾得(かんざんじっとく)画像、長谷川等伯筆の仏涅槃図など絵画十点と本阿弥光悦筆の法華題目抄など書二点の重要文化財を所蔵している。

京都市

本法寺境内の立看板より引用
本法寺縁起
本法寺縁起

本法寺には数々な寺宝が多数ありました。

長谷川等伯が描いた仏涅槃図や本阿弥光作庭の巴の庭等、瀬川貫首さん自らがユーモアを交えてわかりやすく説明していただきました。

十の庭(つなしのにわ)

十の庭
十の庭

本堂でのお経の後にまず案内していただいたのが「十の庭(つなしのにわ)」です。

十の庭には9つの石が置いてあります。十の庭なのになぜか置いてある石は9つ。なぜならば、見ている人の心にもう一つの意志(=石)があり、それを加えると合計で10になるから十の庭だそうです。また十の庭で読み方が「つなしのにわ」なのは、数字を1から数えると、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ、むっつ、ななつ、やっつ、ここのつと、最後の文字に「つ」がつくが、十(とお)は「つ」がつかないので「つなし」と読むそうです。

本山 本法寺 集合写真
本山 本法寺 集合写真

長谷川等伯「仏涅槃図」

ついで案内いただいたのが室内にある長谷川等伯筆「仏涅槃図」です。

長谷川等伯は江戸時代にかけて活躍した絵師で、石川県七尾の生まれ。京都に上京した際には、七尾の菩提寺が日蓮宗であったことから、その縁を通じて本法寺塔頭に寄宿するようになり、数々の絵画を描くようになります。当時の絵画の世界は狩野派が主流であった時代。その狩野派のライバルとして急に台頭するようになった絵師が長谷川等伯です。

宝物館には長谷川等伯が描いた様々な絵画があります。その中でも一際目立つ存在が「仏涅槃図」でした。残念ながら写真は撮影できなかったのですが、お釈迦様がお亡くなりになった際に、数多くの弟子や動物などがお釈迦様の元に集まっている様子が巨大な絵画として描かれていました。10メートル近い高さがあったと思います。

投薬

その仏涅槃図の説明の中でとても面白かった話が、「投薬」です。お釈迦様のすぐそばに木が何本か描かれていました。その木にひっかかったものがあり、それが薬だそうです。お釈迦様の病気を治そうと薬を投げたが、それが木に引っかかってしまい、お釈迦様のもとには届かずにお釈迦様がお亡くなりになってしまった。現在、お医者さんから薬を調合してもらうことを「投薬」というのは、このお釈迦様のエピソードが由来しているという話でした。

本阿弥光悦作庭「巴の庭」

巴の庭
巴の庭

最後に案内していただいたのが「巴の庭」です。桃山時代に本阿弥光悦により作庭されたこちらの庭は、国指定の枯山水庭園です。本来は「三巴の庭」と呼ばれ、3つの築山で巴模様が表現されているとのことでした。

また、庭の真ん中には、丸い石と蓮の池があります。丸い石をよく見ると、半円が組み合わさっており、こちらは日蓮聖人の「日」を。池に咲いている「蓮」の花は文字通り「蓮」を表しています。これらを組み合わせて「日蓮」を表現しているとのことでした。

さらに瀬川貫首さんの説明の中に、本当かどうかはわからんが巴の庭には石川五右衛門が来たことがあり、あの奥の石の上でずっと座っていたという話もされていました(詳しいことは忘れてしまいました)。

本法寺資料

上記に色々と掲載いたしましたが、本法寺について詳しくは、参拝の際に本法寺さんから頂いた資料が一番まとまっていました。下記に掲載いたします。

本法寺資料
本法寺資料
本法寺資料
本法寺資料
巴の庭
巴の庭

香老舗・林龍昇堂

本山本法寺の次に訪れた場所が、京都の香老舗・林龍昇堂さんです。

本覚寺や海徳寺での行事の時に配布しているお線香はこちらのお店にてお願いしています。大学時代の野球部の後輩がこちらの店の出身で、そんな御縁から線香をお願いするようになりました。

実際に御香をかいでみると、その香りは様々。そして値段も。現在では伽羅などが希少になり、使ってはみたいが実際にはなかなか注文できないというのが正直なところです。普段使っている御香に少しでも興味がもっていただければなと思いご案内いたしました。

大勢でお仕掛けたにもかかわらず対応していただいた林龍昇堂の皆様。ありがとうございました。

林龍昇堂

鷹峯・常照寺

2日目に参拝したのが鷹峯の常照寺です。

常照寺の縁起は、元和2年(1616)に本阿弥光悦が土地を寄進し、本阿弥光悦の子・光瑳の発願によるもの。身延山第21世寂照院日乾上人を招いて開創されました。昔は鷹峯檀林と呼ばれ、僧侶が仏教を学ぶお寺でした。盛時には大小30の堂宇がならび、学僧の数は数百人ともいわれました。

また、江戸時代のスーパーレディともいえる吉野大夫ゆかりのお寺です。2代目吉野太夫は日乾上人の学徳に帰依し、寛永5年に巨額の財を投じて朱塗りの山門を寄進します。これが現在でも残っている吉野門です。太夫亡き後はこの常照寺に葬られ、歌舞伎役者や芸能人などが吉野太夫の墓をお参りすることもあるそうです。

毎年4月の櫻の季節には吉野太夫慰霊のため、島原の太夫道中による墓参り、供茶法要が行われ、その模様は恒例の行事としてテレビなどにも登場いたします。

当日は茶室にお招きいただき、若住職自らがお茶を点てていただくという機会を頂戴いたしました。千葉から京都に婿さんとして一年。人前で初めて披露するお点前ということでしたが、その所作は見事なものでした。生まれて初めてお茶の世界を体験しました。もっと堅苦しいのものなのかなと勝手なイメージを抱いておりましたが、ご住職様のアドバイスもあって茶道が身近に感じることができた貴重な経験でした。頂いたお菓子は水無月。氷をモチーフにこの時期ならではのお菓子だそうです。

吉野門
吉野門

貴船神社・川床べにや

最後は貴船に行き、川床べにやにて昼食をとりました。

貴船べにや
貴船べにや

日蓮宗 松戸 本覚寺