令和6年11月17日の御会式にて、宗祖日蓮聖人が最後に身延から常陸の湯に向かったという話をしました。

実際には途中の池上宗仲公の屋敷にてご入滅されますが、「もしも日蓮聖人の体調が悪化するのがもう少し先だったら?」との疑問から、これまで全く考えたことがなかった「常陸の湯」が大変気になるようになりました。
今回茨城県に行く機会があったので、常陸の湯と宗門史跡妙徳寺へにも足を運んでみました。
常陸の湯
常陸の湯は何処に?
松戸から常磐自動車道に乗って1時間強。カーナビに案内されるがままにあっという間に目的地近くへ到着。途中、「日蓮宗妙徳寺」の看板がパッと目に入り、そこから車を走らせること数分。もうすぐだなと思いつつ、カーナビの案内が終了しました。

とりあえず下車してみました。しかし、あたりを見回しても常陸の湯の目標となるものが全く見当たりません。
道路に面したところにあった看板とバス停には「常陸の湯」の文字があり、間違いなく近くに来ているのですが、・・・




とりあえず看板脇の坂を下ってみると、遠くにはゴルフ場のグリーンが見えます。インターネットにて事前に調べた情報だと、常陸の湯はゴルフ場に隣接しているとのことだったので、グリーンが見える方向に向かって進んでみると、
常陸の湯発見!

こちらの施設が目に入りました。先日インターネットで調べた時に目にした写真と同じものですので、こちらが常陸の湯に間違いありません。
常陸の湯には入ることができません。道路脇の看板は昔の名残です。かつては入浴施設がありましたが、東日本大震災以降、その施設は取り壊されてしまいました。


石碑の内容
せっかくですので石碑にかかれていた文字を解読してみました。(間違っていたらごめんなさい)
常陸湯
抑斯井泉ハ源義家奥賊征討ノ途此處ヲ通過シ井水ニ浴シテ霊效アルヲ発見セリト傳ウ 其後文永元年日蓮大士小松原法難ノ翌年来リテ是ニ浴シ道氣ヲ養フ 猶弘安五年身延山ヲ出テ再ヒ是ニ浴セントセシガ池上ニ入滅シタリ彼ノ波木井殿御書ニ 栗毛の馬は餘り面白くおぼへ候に いつまでも失うまじく候 常陸の湯へ引かせ候はんと思い候が云云トアルハ即チ此霊泉ナリ 然カモ此温浴ハ信仰的ニモ化學的ニモ古ヨリ諸病ニ特効アリト称セラル 本年ハ恰モ妙徳寺開創六百五十年ニ際シ 加倉井啓子ノ篤志ニヨリ八幡社竝ニ當泉ヲ改築ス 偶々此時横綱双葉山大(東亜戦?)完(勝?)祈願ノ為メ當山参拝ノ折右神軆ヲ親シク仝社ニ遷納ス 尚記念碑建立ニ當リ祖師ノ像ヲ刻シ立正安国候テ這願ノ必成ヲ祷ル 経曰六根清浄 神通力故増益寿命ト 之レ實ニ心身ヲ清メ國ヲ救ヒ(◯?)ヲ攘フ 霊泉ノ効正ニ法道ニ一致スルモノ其徳ヤ偉ナリト云フベシ矣
昭和十八年五月吉日
常陸の湯顕彰の石碑
他にも常陸の湯を顕彰する石碑がありました。こちらは日蓮宗の茨城県宗務所の方が主体となって建立した石碑のようです。


顕彰石碑の内容
常陸の湯顕彰
又栗鹿毛の御馬はあまりにおもしろく覚へ候程に いつまでも失ふましく候 常陸の湯へ引かせ候はんと思ひ候か 若し人にもぞ取られ候はん、又その外痛はしく覚へは、湯より帰り候はんほど、上総の藻原殿の許に預け置きたてまつるべく候」(波木井殿御報・弘安五年九月・定本一九二四)。この御遺文に名指された「常陸の湯が何処であるか、日蓮宗宗門の歴史は永く特定しないできたが、昭和四十六年宗祖御降誕七五〇年度慶讃の記念事業として、時の宗務所長小林榮雄師の発願により管内の碩学福島日偉僧正に委嘱して「常陸の湯顕彰ー妙徳寺号」を発刊。凡ゆる古文献等を集大成して、波木井実長公の三男実氏公が太田乗明殿の飛び地である加倉井の地の領主であり、実長公夫人(後に妙徳尼となり没して「妙徳寺」が建立される)が滞在されていた敷地内に胃腸病に良く効く「常陸の湯」鉱泉があることを身延の実長公も熟知されており、日蓮大聖人に湯治をお勧めになった事実等を論じた。
この論文を資料として、茨城県宗務所は、妙徳寺の「常陸の湯」が宗祖お名指しの湯であり、宗門の史跡として顕彰するために史跡指定を申請した。宗門は、第二十六宗会に於て「宗門史跡規定」を新たに設けて、その第一号史跡としてこれを公認指定した。
爾来星霜三十年、時恰も立教開宗七五〇慶讃年を迎えるに当たり、その記念事業として管内寺院教会結社挙つて浄財を投じ、日蓮宗茨城の教線の根幹である妙徳寺「常陸の湯」が宗門公認の霊地であることを改めて天下に知らしめるとともに、正法興隆・四海帰妙を誓願し「宗門史跡常陸の湯顕彰碑」を建立するものである。
平成十二年五月二十五日
隠井山妙徳寺第五十五世 植木玄晴代
撰文 日蓮宗茨城県宗務所長 小林榮祥
揮毫 大本山清澄寺第八世別当 小林榮雄
上記顕彰碑の要点を示すと、以下の通りです。
- 常陸の湯が何処にあったかははっきりとしていなかった。
- 常陸の湯がきっかけとなり「宗門史跡」の規定ができた。
- 常陸の湯とゆかりがある妙徳寺が日蓮宗で最初の宗門史跡となった。
日蓮宗宗門史跡
宗門史跡とは宗祖及び宗門に由緒のある重要なお寺で、現在指定されている宗門史跡は23ケ寺です(令和6年12月5日現在)。
常陸の湯 | 妙徳寺 | 茨城県水戸市加倉井町909 |
小松原法難殉教工藤吉隆公旧跡 | 日澄寺 | 千葉県鴨川市天津1850 |
山陰八ヶ国宗門最初霊場 | 常照寺 | 京都府福知山市菱屋68 |
日蓮聖人御両親のご廟所 | 妙蓮寺 | 千葉県鴨川市小湊129-1 |
日蓮聖人配流の地 川奈の霊場 | 蓮慶寺 | 静岡県伊東市川奈759-1 |
花房蓮華寺跡 | 蓮華寺 | 千葉県鴨川市花房1236 |
日像上人北陸弘通最初法難の霊地 祐乗・道乗殉難の地 | 本土寺 | 石川県鹿島郡中能登町西馬場ユー3 |
日像上人北陸弘通最初法難の霊地 | 妙成寺 | 石川県羽咋市滝谷町ヨ-1 |
日蓮聖人御遊学の霊地 | 蓮長寺 | 奈良県奈良市油阪町426 |
日蓮聖人着岸の霊地番神堂 | 妙行寺 | 新潟県柏崎市西本町1-13-1 |
日蓮聖人思親の霊地 | 實相寺 | 新潟県佐渡市市野沢856 |
車返霊場 | 車返結社 | 静岡県裾野市深良1657-2 |
南海最初の法華道場 | 真静寺 | 高知県四万十市有岡1245 |
日蓮聖人御遊学 比叡山横川定光院の聖地 | 横川定光院 | 滋賀県大津市坂本本町4255 |
撰法華経拝授寂蓮房日浄上人旧跡 | 本國寺 | 山梨県南巨摩郡身延町下山2271 |
身延南部梅平の地域 | 鏡圓坊 | 山梨県南巨摩郡身延町梅平2780 |
六老僧日昭上人布教の道場 | 妙法寺 | 神奈川県横浜市戸塚区名瀬町72-4 |
日蓮聖人御着岸の霊地 | 本行寺 | 新潟県佐渡市松ヶ崎1201 |
日持上人開教及び奥羽二州触頭 | 法華寺 | 北海道松前郡松前町字豊岡町258 |
日親上人誕生と出家の地 妙宣寺とその周辺 | 妙宣寺 | 千葉県山武市埴谷1396 |
西国弘通最初の法華道場 | 妙本寺 | 岡山県加賀郡吉備中央北1501 |
日親上人西国布教の道場 | 常國寺 | 広島県福山市熊野町甲1481 |
日蓮宗最古の法華堂遠照寺 | 遠照寺 | 長野県伊那市高遠町山室2010 |
宗門史跡 妙徳寺
常陸の湯に行った後に、続いては日蓮宗宗門史跡妙徳寺にお参りしてきました。
車で5分程でした。道路沿いの看板が目印となりました。丁度銀杏がきれいな時期でした。
妙徳寺は茨城県で最初に建立された日蓮宗のお寺です。山号額などの揮毫は池上の管長猊下であったりと、由緒正しいお寺であることがよくわかりました。
このあたりは加倉井姓が多いようです。本覚寺の檀家さんにも加倉井さんがいますが、ルーツを辿ると水戸市加倉井が元々の先祖がいた所だと言っていました。その際に横綱のエピソードもしていたので、きっとこちらの銅像に描かれている双葉山のことでしょう。加えて私の記憶が確かならば、この加倉井の地から巨人の選手も輩出しているという話もしていた気がします。






