日蓮宗本山 長谷山 本土寺
【所在地】〒270-0002 千葉県松戸市平賀63
はじめに
お初にお目にかかります。私、山田甲希と申します。令和元年の夏よりお手伝いをさせていただいております。今回は私が5年間住み込んでお世話になりました、千葉県松戸市にある日蓮宗本山、長谷山本土寺をご案内させていただきます。数少ない日蓮聖人開堂の霊跡としてその由緒と歴史があり、桜や紫陽花、紅葉など四季折々のお花を楽しめるお寺です。
縁起
以下では、『日蓮宗本山めぐり 日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて』に依拠しつつ、その縁起を記します。
文永二年(1265)、聖人は小松原法難の傷を癒された後、鎌倉へ戻り、以後、数年は機をみて各地に巡教を積極的に行った。そうした時期の下総における代表的な由緒寺院が当山である。
文永五年(1268)正月、大蒙古より使者が国書を携えて来た。表向きには友好を結びたいというものであったが、内実は従属を強要するもので、屈服しないときは武力行使も辞さないとの意向であった。幕府は返書を送らずに西国の防備を固めた。しかし、これを知った人々の恐怖心は高まるばかりであった。
聖人は「他国侵逼難」の予言を強く訴えてときの権力者・北条時宗ほかへ十一通の書状を送り、法華経によらなければこの危機を救えないと説き、他宗諸大寺との法論を望んだ。
このような状況の文永六年(1269)五月、当地目代の蔭山土佐守が聖人に帰依し、法華堂を建立した。後、有力な檀越曽谷教信は建治三年(1277)、風雨の災禍により倒壊した堂宇を再建した。開堂に当地出身の日朗上人を招いたが、上人は鎌倉を離れることができなかったので開堂の後、九老僧の日伝上人を遣わした。以後、池上本門寺・比企谷妙本寺と共に朗門の「三長三本」として栄えた。
開山日朗上人が正式に日伝上人座を譲ったのは延慶二年(1309)。当地は名門平賀忠晴邸跡。日朗上人のほか京都開教の祖である日像上人、池上・比企谷両山三世日輪上人兄弟誕生の霊地としても知られる。
日蓮宗本山めぐり 日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて
四季の写真
本土寺山務中に撮影した画像が携帯電話に少し保存されていたので下記に載せます。
春は桜、夏は藤や花菖蒲・あじさい、秋は紅葉、冬は雪景色と様々な姿を見せてくれます。その外にも数多くのお花があり、探すのも一つの楽しみかもしれません。お花の時期には参拝料をいただくので有料になります。