令和6年新年星祭祈祷会の模様

令和6年新年星祭祈祷会

令和6年1月8日(成人の日)に本覚寺において、令和6年新年星祭祈祷会を行いました。

今回は10時と12時と2座に分かれての祈祷会でした。

何かと慌ただしい令和6年の年頭となりましたが、皆様の御多幸を心よりご祈念申し上げます。

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令和6年新年星祭での法話

本年話したことを備忘録としてこちらに記載しておきます。

能登半島地震

令和6年1月1日の元旦に能登半島での地震により、多くの方が被災されました。被災された方々に心からお見舞いを申し上げるとともに、一日も早い復興を心よりご祈念申し上げます。微力ながらでも何かできることはないかと考え、今回募金箱を設置いたしました。本日の募金と現在お賽銭箱に入っているお賽銭全額を、日蓮宗を通じて被災地へと寄付いたします。

石川県は日蓮宗と大変ゆかりが深いこともお知らせいたしました。忍者寺で有名な金沢市内の妙立寺も日蓮宗のお寺です。また、羽咋市には北陸地方唯一の本山妙成寺もあります。石川県で日蓮宗の信仰が盛んな理由として、平賀(現在の松戸)生まれの日像上人の影響が色濃いこともお伝えいたしました。

以前妙成寺を参拝した時の記録がありました。詳しくはこちらをご覧下さい。

日蓮宗本山妙成寺 日蓮宗本山 金栄山妙成寺 | 加賀百万石前田家ゆかりの寺

今年の干支は辰年

日蓮宗総本山身延山久遠寺本堂の天井には、日本画家・加山又造画伯による『墨龍』が描かれています。「八方睨み」と言われる手法で描かれたその龍は、どこから見上げても自分の方を見ているように描かれ、人間の悪事などはお見通しだと睨みをきかせています。

龍は仏法を守護する善神として古くより崇められ、様々な寺社で龍の絵画や彫刻などが見ることができますが、身延山の墨龍には通常とは異なる点があります。それは、この龍が『宝珠』と呼ばれる珠を握っていない点です。なぜかといえば、

誰もが仏様の心を生まれながらにして持っていることが説かれた法華経こそが宝珠であり、霊鷲山に等しい聖地、身延山で合掌する人々の心の中には、すでに宝珠が備わっていることを気づかせてくれているのです。


身延山久遠寺ホームページより
加山又造「墨龍」
加山又造「墨龍」出典:身延山久遠寺ホームページ

今年の目標

宝珠とは何かを問いかけている墨龍の話しを聞き、自分で色々と考えることが大切だなと思うようになりました。そして、今年の目標となる漢字を書き初めいたしました。

今年の目標は「歩」です。令和6年の今年、年齢が49歳を迎えます。残念ながら老いを感じるようになりました。以前であればすぐに覚えられた人の名前も、何度も何度も確認しなければなかなか覚えられなくなりました。

年だから無理だと諦めるのは簡単ですが、休みながらでも少しづつ継続していくことが大切だなと。

「歩」=「止」+「少」

休みながらでも努力することで、その落ちるスピードを落とし(図の②)、願わくば現状維持(図の①)。欲を言えば少しでも上向きに(図の③)成長できればなと。そんな1年にしていきたいなと考えています。

成長曲線
成長曲線
今年の漢字
今年の漢字

終活から集活へ

星祭の当日に法話で何を話そうか思案している時に目に止まった郵送物が、京都にある大本山妙顕寺からの寺報でした。妙顕寺は日像上人が開山のお寺で、これも何かの縁だなと思い寺報を読み始めました。

すると、執事の森本泰光上人が書かれた終活に関する文書が大変興味深く、以下に引用いたします。

ここ十年で終活という言葉を多く耳にするようになりました。遺された方々に迷惑をかけないように終活を行う。そういう方がとても増えたと感じます。迷惑をかけたくないというのは、確かに美しい言葉だと思います。終活をすることで遺された人が助かることも確かに少なくありません。でも、終活は迷惑をかけたくないために行うものと言われると、私は違和感を覚えてしまいます。亡くなって迷惑をかけない人などいません。亡くなれば何もできないのは当然です。終活とは、迷惑をかけないようにするものではなく、むしろ迷惑をかけあえる関係を気づくことなのではないでしょうか。では、お寺として、僧侶としてできることは何か、そんなことを考えているときに集活という言葉を耳にしました。現在の終活という言葉は、できる限り周りと周りとの関係を減らす方向に動くことを示すことが多いと思います。墓じまいや、葬儀式の簡略化などが当てはまるかと思います。対して集活というのは、集まること、さらに集めることだそうです。例えば、年回忌の法要などは、親族等で顔を合わせ話をするいい機会になります。年中行事は、人と人とが縁を紡ぐいい機会になります。法事の件数が少なくなり、年中行事の参加人数が減った等、よく聞く話です。しかし、残念ながら法事を増やす対策の話はほとんど聞いた覚えがありません。お寺のほとんどが、聞こえよく《時代》を理由に諦めているのではないでしょうか。何も変わらずこのままでは、知らない間に我々は孤独死に加担しているなんてこともあるかもしれません。少しの変化が大きな一歩につながると思います。縁を大切に、たくさんの方が自分らしく生きるため集活を行うことは、お寺の衰退を食い止める一手になるのではないでしょうか。今の時代だからこそ、縁を紡ぐ場所としてお寺を盛り上げていきたいと強く思う次第です。

引用:大本山妙顕寺配布資料「令和6年元旦号」 執事:森本泰光上人の文章

「歩」と「集活」。こちらを自身の今年の目標となる漢字としました。

集活
集活

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