令和6年本覚寺御会式の模様

令和6年本覚寺御会式

去る令和6年11月17日(日)14時より、本覚寺本堂にて宗祖日蓮聖人第743遠忌御会式法要を行いました。

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法話

御会式の法話として

もしも日蓮聖人がもう少し長生きだったら?

と題してお話いたしました。

日蓮聖人が御入滅するまで

弘安5年(1282年)9月8日
身延山出発

病気療養の為、山梨県身延山から茨城県・常陸の湯へと向かう。

同年9月18日
池上にて様態悪化

武蔵国池上宗仲公の館(現在の東京都大田区池上)にて様態が悪化。

同年10月13日
御入滅

辰の刻(午前7時〜9時)、弟子・信者に囲まれて61歳のご生涯を閉じられる。

これまでの御会式では、「日蓮聖人は身延山久遠寺に9年間住まわれた後、体調が悪くなって常陸の湯へと向かう途中に、池上にて体調を崩し御入滅された」ということを何も疑問も思わず説明しておりました。

なぜ常陸の湯?

今回ふと疑問に思ったのが、なぜ日蓮聖人は現在の茨城県に向かったのかという点です。

長年当たり前のように説明してきましたが、素朴な疑問として

  • そもそも茨城県の常陸の湯はどこある?
  • 病気療養するならば他にも良い温泉があったのでは?
  • 茨城県にはそれほど日蓮宗寺院がないのになぜ?(千葉県580ケ寺・茨城県76ケ寺)

との疑問点が。

常陸の湯は、現在の水戸市加倉井に実在

調べて見ると、常陸の湯は現在の茨城県水戸市加倉井町に実在していました。

なぜこの地に日蓮聖人が向かったという理由は諸説ありましたが、常陸の湯がある加倉井という場所は、日蓮聖人の有力な信者であった波木井実氏(はきいさねうじ)の領地だったそうです。

現在この常陸の湯がある場所(正確には少し離れた場所)には、日蓮宗の宗門史跡・妙徳寺があります。実氏の母・妙徳尼の菩提を弔うために建立されたお寺です。

波木井実氏の父親は、波木井実長(はきいさねなが)公であり、佐渡流罪の日蓮聖人を山梨県身延山へとお招きした篤信の人物として有名です。

小松原法難後に常陸の湯に?

妙徳寺の石碑には、小松原法難の後い傷を癒やす為に、日蓮聖人がこの常陸の湯に湯治に来たという記載があるそうです。

画像出典:日蓮聖人のご霊跡めぐり(https://blog.goo.ne.jp/alohakuumoku

もしも常陸の湯に行っていたら、池上から常陸の湯までの道中は? 

日蓮聖人は池上で体調を崩し、そのままお亡くなりになりました。もしも体調が崩れるのがもう少し後であったら、

日蓮聖人が本覚寺の辺りを通過していた可能性もある!?

そんなことがふと頭によぎりました。なぜならば当山本覚寺の近くには、法華経寺、弘法寺、本土寺など、日蓮宗の本山が点在しております。また鎌倉時代と現在とでは当時の交通事情も全く異なりますが、当山は水戸街道沿いのお寺です。水戸まで向かう途中に本覚寺の近辺を通過していた可能性というのもあるのではないかなとも思うようになりました。

実際には確かめようがないのですが、常陸の湯に向かう計画があったのならば、本覚寺近辺を日蓮聖人が通っていた可能性があると思い、今回の法話のネタといたしました。

参考文献

日蓮宗 松戸 本覚寺