日蓮宗本山 長谷山 本土寺
【所在地】〒270-0002 千葉県松戸市平賀63
第二弾です
こんにちは。山田甲希です。今回は本土寺の諸堂や境内について少しご案内させていただきます。新型コロナウイルスの影響で外出にはまだまだ注意が必要です。ですが本土寺のお花は綺麗になってきています。今回はそんな本土寺をぐるっと参拝してみましょう。
令和2年6月9日現在、花菖蒲は見頃を迎え、紫陽花は6?7分咲きとなっています。
この本土寺は妙法蓮華経如来寿量品第十六に説かれている仏様の世界を現実世界に表そうとお花を植え始めました。仏様の世界はたくさんの木々や草花に彩られ建物はたくさんの宝などで飾られている。との一説を実現しようとしたものです。
本土寺の歩き方
私個人の考えです。自分の思いやその場の雰囲気、お花に呼ばれるがままに散策するのも楽しみ方の一つです。一度参拝されたことがある方は思い出しながら、まだ参拝されたことがない方は初めて参拝する際の参考にどうぞ。
仁王門
JR常磐線北小金駅北口からしばらく道を行くと仁王門が見えます。大体10分から15分くらいだと思います。途中大きな木々の間を通ります。写真を見ると分かりますが、門の上にはたくさんの仏像があります。大晦日から正月三が日だけ見ることができます。中には入れません。また、仁王門にかけられている大数珠は、昭和8年頃戦勝祈願のために奉納されたものです。
仁王門
間口三間半、奥行二間、木造瓦葺楼門式。参道の正面に「長谷山」の扁額を掲げた朱塗りの高楼が参拝者の目を驚かす。昭和四十五年五月、解体修理を行った際、二天王の体内から造立勧進帖が納められているのが発見され、慶安年間、日慧上人(除歴)の発願にかかる建築であることが明らかとなった。階上には金色の千体仏が祀られている。
本土寺物語より
受付
仁王門を過ぎ階段を下ると受付が見えてきます。途中右側に佛持院(ぶつじいん)と言うお寺があります。お花の時期は参拝料を納めて境内に入ります。無料参拝期間中は無料で境内に入れます。
受付を過ぎ中に入ります。
開山堂(かいさんどう)
受付から本堂へ向かう道の右手にある建物は開山堂です。開山とはこのお寺を開いた方です。本土寺の開山は日蓮聖人となっております。ここには眉間に白毫相のある日蓮聖人がまつられています。そして歴代の貫首(かんじゅ)様のお位牌も置かれています。「貫首」とは住職とおなじような名称のことです。本山以上の住職のことを貫首と呼びます。貫首猊下(げいか)とも呼びます。猊下とは、「○○様」のような感じで使います。大晦日にこのお堂でご祈祷を受けることができます。この開山堂の廊下には水戸光圀公が参道に寄進した松を使用しています。
五重塔
開山堂の反対側に位置するのが五重塔です。中に入ったりすることは出来ませんが、お花の時期に入口を開けて柵の外から中を見られるようにしていました。現在は開けているかは分かりません。中にはたくさんの小さな仏像(千体仏)と、当時のインドのネール首相からお釈迦様のお骨のひとかけらをいただき安置しています。仏舎利ですね。お米ほどの大きさの譬えですね。
鐘楼堂(しょうろうどう)
五重塔の左には鐘楼堂があります。大晦日にはこの鐘をつくことができます。寒さに負けずたくさんの方がこの鐘を鳴らしに訪れます。
梵鐘 国指定重要文化財 昭和五十二年六月十一日指定
建治四年(一二七八)鋳造のつり鐘で、県下で二番目に古く高さ
三〇,七センチ、径六九,〇センチで約七〇〇キロの重さがある。
この鐘は文明十四年(一四八二)本土寺第十世住職日瑞のとき旦那の、設楽助大郎、大伴継長の協力を得て、求めたことが記されている。また、この鐘は初め印東庄六崎(佐倉市)の大福寺にあったことがわかり、製作者は上総国刑部郡(長生郡長柄町)の大工、大中臣兼守と記されており、長柄町は昔から鋳物や金銀細工が盛んなところでこの鐘は、千葉県の工芸の歴史を知るうえで貴重な存在となっている。
本土寺鐘楼堂前看板より
本堂にご挨拶
受付にてご参拝料を納めましたら、まずは正面に見える本堂に手を合わせてみましょう。本堂にはお寺のご本尊があります。自分が今こうして生きていることやお参りできることに感謝をし手を合わせます。神社ではないので手を叩く必要はありません。実は本堂からお参りすると後々坂道を登らなくても良いという嬉しいポイントが・・・。しかしながら、御朱印が欲しい方は先に事務所に行き、受付を済ませたほうがいいかもしれません。混雑すると御朱印を書くのに時間がかかってしまいます。早くお渡しできればいいのですが、雑に書くわけにもいきません。現在はどのような体制になっているか分かりませんが、御朱印帳を預けてからゆっくり参拝し帰りに御朱印帳を受け取ることも可能でした。ここで注意。そのまま忘れていく方もいました。そして自分の御朱印帳には名前や分かる目印をつけることをおすすめします。大切なものをおさめる大切なものです。ただの帳面ではありません。
秋山夫人のお墓
本堂階段下の右横から渡り廊下をくぐり抜けて行くとお墓があります。このお墓は秋山(あきやま)夫人のお墓です。秋山夫人は徳川家康の側室で於都摩(おつま)、下山殿(しもやまどの)、下山の局(つぼね)と称されています。水戸光圀公の叔母にあたる方で、以前は本土寺の参道脇にお墓がありましたが光圀公によって現在の場所に改葬されました。このお墓の周りにある紅葉は秋山紅(しゅうざんこう)と言う紅葉で、本土寺オリジナルと言われています。
歴代の御廟所(ごびょうしょ)
秋山夫人のお墓の近くにあるのが本土寺の歴代の貫首様のお墓です。
宗祖、日朗、日伝三聖の墓石を中心にして左右に並んでいます。
宝物殿(ほうもつでん)
あじさいに囲まれた道を進むと下り坂があります。この坂の右側にあるのが宝物殿です。国の重要文化財として宗祖日蓮聖人御真筆の「諸人御返事」「大学三郎御書」等があります。また、千葉県指定有形文化財の「本土寺大過去帳」等、多数の書物や什物が収められています。一般公開はしていないと思います。
菖蒲池
下り坂の正面が菖蒲池です。スギナの除草作業が終わり、令和2年6月上旬ごろから花菖蒲を見ることが出来るそうです。令和2年5月20日には一輪だけ咲いていました。6月9日現在、花菖蒲は見ごろを迎えている模様です。左回りで行くか右に回って行くか迷いどころですが、ここは左に回って行きましょう。
像師堂(ぞうしどう)
道なりに進むと像師堂が見えてきます。日像(にちぞう)上人をおまつりしているお堂です。金箔を使った御宝前が綺麗です。お堂正面に立つとセンサーで堂内の電気がつきます。ピカピカです。電気がつく音に何度もびっくりしたのを覚えています。お堂の前には大きな銀杏の木があります。秋になると綺麗な色と芳しい匂いがします。
日像上人は、この本土寺でお生まれになられた方です。幼少の頃より日蓮聖人と兄である日朗(にちろう)上人に師事し、日蓮聖人がお亡くなりになる前に枕元日像上人を呼び頭をなでながら京都への法華経布教を頼んだと言われています。この時、日像上人はまだ幼い子供でした。その後、無事に京都布教を成功させます。現在の関西地方への法華経弘通のもとになったのは日像上人の功績が大きいのです。
像師堂
この寺域は住古妙泉院と称せられ、中世からは輪像院と改称、支院の一つであった。現在は本院に合併されている。茅葺き寄せ棟の素朴なお堂であったのを、昭和二十八年改修して現在の姿となった。御本尊は日像菩薩ご入魂の「親子相想の日像様」と古来崇められるご尊像で、左右には曽て大本堂に祀られた四天王(二天は散逸)の二天が安置され、脇床には子育の鬼子母神、十羅刹如が祀られている。
本土寺物語より
日像上人誕生水の井戸
また、このお堂の脇には誕生水、または乳出の御霊水(ちちでのごれいすい)と呼ばれる井戸があります。日像上人がお生まれになられた際に水が湧き出て、その水を産湯として使ったと言われています。昔はこの水を求めにたくさんの方が訪れていたようです。この水を飲むと病気が治ったり、お乳の出がよくなったりとの御利益があったそうです。
日像上人誕生水の井戸
日像様は日蓮大聖人晩年のお弟子です。天皇家、並びに当時政治の中心であった京都に法華経・お題目の教えを弘めるという大聖人の遺命をわずか十三歳で拝命されました。大聖人の遺命を成就された高弟の一人であります。文永六(一二六九)年八月十日日像様はこの地、平賀に御誕生なさいました。その時、庭先に湧き出た泉がこの井戸であると伝えられています。かつては「乳出のご霊水」として崇められ、多くの人々がその御利益を求め当山をご参拝になりました。
本土寺日像上人誕生水看板より
この井戸の横に大きなイチョウがあり、枝から支柱根(しちゅうこん)と呼ばれるお乳のような根っこが垂れ下がっていました。しかし、台風の影響でたくさん垂れ下がっていた枝が折れてしまいました。
お願い地蔵
お願い地蔵
約750年前に、沢に流れ着いたお地蔵様を祀るために建てられた。別名【お願い地蔵】とも呼ばれている願掛けスポット。お願いごとを込めた小さなお地蔵さまを納めることで、願いが叶うと言われています。
本土寺公式インスタグラムより
像師堂の横にはお願い地蔵もいらっしゃいます。受付、もしくは事務所で小さなお地蔵様を買って、ここにお供えする方もいます。または、お願いが叶ったらお礼参りに来てお納めされていく方もいます。たくさんの方の願いを聞いてくれているお地蔵さんなのです。
弁天池(べんてんいけ)
像師堂を過ぎると池が見えてきます。この池が弁天池(べんてんいけ)です。中央に弁天様のお社があります。池には鯉がいました。この池の脇に藤棚があります。昔は冬にこの池でスケートをしていたと言う檀家さんもいました。現在はそんなに凍ることはないと思います。睡蓮が綺麗に咲いていました。
銭洗弁財天(ぜにあらいべんざいてん)
銭洗弁財天縁起
古記によると当山勧請の銭洗弁財天は霊験あらたかにして、流れで銭を洗うことにより福禄倍増したとある。しかしその神像が失われて久しかった。この度縁あってその神像を数百年ぶりに再現したものである。平成二十二年三月吉日 長谷山本土寺
銭洗弁財天縁起より
また、この弁天池の裏には銭洗い弁天様がまつられています。お金を洗い清めます。そして滝もあります。さらに戻る感じになりますが、長谷稲荷(ちょうこくいなり)様もまつられています。像師堂お願い地蔵様の横の鳥居につながっております。ぐるっと一周できるのです。
本土寺美術館
あまり存在が知られていませんが、この藤棚の近くに小さな建物があります。以前は本土寺の行事の写真などを飾ったりしていました。現在は期間限定で色々なものが飾られているようです。詳しくは本土寺に確認してみましょう。
瑞鳳門(ずいほうもん)
瑞鳳門
旧輪像院の門で、以前は弁天池の終る処、像師堂前に在ったものを、現在地に移し改修した。当院第二十一世の日運師が建立したと記録される。扁額「像輪誕生霊区」は、文政四年、六条本圀寺日運僧正の筆。
本土寺物語より
妙朗堂(みょうろうどう)
妙朗堂
このお堂は妙朗尊尼をお祀りするお堂です。日朗・日像・日輪各上人の御生母であり、各聖の信仰心をお育てになった婦徳を讃えて大正末期、現在の像師堂側らに建立されました。その後昭和二十八年に現在地へ移築されました。かつては日像上人ご自刻の妙朗尊尼像(現在は宝物殿蔵)がご安置されていました。このお像は京都への布教の為、母上に十八年間会うことが出来なかった日像上人が母の訃報を聞いて平賀の地に戻った際、庭先の桜の木で自ら刻まれたものであると伝えられています。日像上人の亡き母を想う孝心を現代に伝えるお像であります。
妙朗堂看板より
瑞鳳門という大きな門をくぐると脇に小さなお堂が見えます。このお堂が妙朗堂です。日蓮聖人の六老僧の一人日朗(にちろう)上人のお母さんがまつられています。もちろん日像上人と日輪(にちりん)上人のお母さんでもあります。立派な子供が生まれますように、子供が立派に育ちますように、立派な子供を育てられますように、などのお願いをされる方もいるようです。
事務所
ここでは御朱印やお守りの販売、各種ご祈願の受付を行っています。その他気になることやお寺に関することはここで聞くと良いでしょう。また、事務所前に大きな松があります。大王松(だいおうしょう)という松で、特徴としては葉が三本一組で松ぼっくりが巨大です。それはそれは巨大です。また、フェイジョアという植物もあります。花菖蒲や紫陽花の時期になるとホタルブクロも咲いてきます。
事務所を過ぎると入口に戻ってきます。そうです。本土寺をぐるっと一周しました。
ここで一休みも出来ます。
終わりに
お疲れさまでした。だいぶ長くなってしまいましたね。しかし、これであなたがいつ本土寺にお参りに行っても大丈夫。と思います。綺麗なお花や景色を通して自らの心も見なおして心のお洗濯をしてみてはいかがでしょうか。
色々な方がいました。もちろん除草や肥料などのお手入れをしていますが、毎年必ず同じように咲くとは限りません。つねに一度きりの出会いなのです。全然綺麗じゃないと言う方もいれば、すごく綺麗でしたという方もいます。その差って一体何でしょう。その差を取り去ることができたのならば「悟り」にひとつ近づけるのでしょうか。心穏やかに生きたいものですね。
参考 本土寺公式ホームページ現在の詳しい状況はこちらへ本土寺の公式ブログもあります。
本土寺公式インスタグラムも始まりました。