草野法界上人
6月12・13日の両日、日蓮宗霊断師会会長、福岡県直方市代行寺第4世草野法界上人の密葬儀に参列いたしました。
御命日は草野上人の弟弟子である海徳寺第6世加藤貴啓上人と全く同じ6月10日でした。3年前のこの日には、法務ご多忙の中、習志野市海徳寺まで足を運んで頂き、貴啓上人の本葬儀の導師をして頂きました。
加えて、9年前の6月12日には本覚寺での自身の結婚式の式長をして頂きました。
草野法界上人が最後に残されたこの命日という節目も、何かのご縁なのかと感じつつお焼香いたしました。
さらに、今回改めて気がついたのが
- 自身の結婚式の式長・・・草野法界上人
- 両親の結婚式の式長・・・草野法界上人
- 草野上人の結婚式の式長・・・祖父:加藤錬明(雲洞)上人
ということも、下記の自叙伝を拝読してのことです。親子3代に亘り、草野上人との深いご縁があることを今更ながら考える機会となりました。
さらに余談となりますが、3年前に他界した母親が言っていたのが、結婚指輪を買ってくれたのは師父ではなく草野上人だったと。松戸駅前の金松堂(本覚寺檀家)に行って、草野上人が結婚指輪のお金を出してくれたと言っていたことを思い出しました。
なお、私は生まれる前ですので真実は知りませんし、師父もそのことは話さないと思います(笑)。
自叙伝「法螺貝」
2年ほど前に本覚寺にお越しになった時に、草野上人御自身の自叙伝を頂きました。その時はザッと目を通したのみでした。
今回の訃報を聞き、その自叙伝片手に福岡へと向かいました。通夜の後のホテル、さらには火葬場にて、3度通読いたしました。
祖父の弟子として身延山で修行されたことの経緯や、その後の様々な苦労話を知りました。
草野家一族の菩提の為に建立したお寺が、現在では多くの檀信徒の信仰を集める立派なお寺となっています。
普段からスケールが大きく、豪快なお人柄であったので、数々の艱難辛苦があったことには全く気がついておりませんでした。
若かりし日のお姿
数年前に祖父の写真を整理していたところ、草野上人が写っている写真もいくつか出てきました。
スキャナーでパソコンに取り込み、いつでも見れるようにクラウドにバックアップしておりました。
今年の1月に代行寺にお伺いした際(この時の状況は過去のブログへ)に、そのことを思い出し、若かりし日の草野上人の写真をお上人ならびに御寺族の方にお見せいたしました。
娘さんも見たことがない写真ばかりで、とても喜んで頂きました。
御寺族・御親戚の方でこのページをご覧になる方もいるかもしれませんので、自身の手元にあるお上人の写真をいくつか掲載いたします。
慈恩
平成16年に自身が初行の時に、現代行寺住職・草野法要上人も再行に入行されておりました。
代行寺での帰山式の際に、大勢の檀信徒の前で「今日は私の弟子だけでなく、孫弟子になる智章君が千葉の松戸から来てくれた」と紹介して頂き、とても喜んでおられた姿がつい昨日のように思います。
さらに、今年の1月に代行寺に伺った際に、草野法界上人をはじめ、寺族の方々、さらには愛犬までもが、満面の笑顔にて歓迎していただいたことが忘れられません。
その時に、まさかこれが最後になるとは夢にも思っていませんでした。本堂にて上人特有のかすれた声にて師父や海徳寺先代の名前を読み上げ、お経を唱えている姿は自身の脳裏に焼き付いています。
私の祖父でもある加藤錬明(雲洞)上人が遷化してから50年が過ぎました。私が生まれる前に遷化しているので、祖父の記憶があるはずがありません。
しかしながら、実の孫のようにとても良くして頂いたのが、祖父のお弟子さん達です。1番弟子である李(松田)永華上人、2番弟子である草野法界上人、さらには海徳寺第4世の加藤海正上人です。
現在海徳寺の住職として法灯を継承し、実家の本覚寺とともにお寺の護持に努めておりますが、僧侶としての先鞭を築いてくれたのが、祖父のお弟子さん達なのかもしれません。
草野上人の慈恩に改めて感謝するとともに、草野上人の増円妙道を心よりご祈念申し上げます。
有難うございました。そして、お疲れ様でした。