一隅を照らす
「受けた恩は岩に刻め。貸した恩は水に流せ」と古人の言葉にあります。これは私たちの思いがこの反対になりがちだからこその戒めなのでしょうか。
見返りを考えず行った親切でもお礼を言われなかったり、通じていなかった時に不満を覚えることはないでしょうか。
そんな時ちょっと振り返って下さい。あなただって誰かの親切に気付いていないことがあるかも知れませんよ。思い当たったらこの言葉を口ずさんで下さい。
出典:日蓮宗ポータルサイト『今月の聖語』 2022年3月号
「誰かがあなたの力になっている。あなたも誰かの力になっている。誰かが誰かの力になっている」
京都での学生生活でいつも目にしていたのが比叡山です。京都市内の盆地を囲む山々で一番高い山が比叡山なので、比叡山を見れば今自分がどこなのかわかります。修学院、一乗寺、松ヶ崎と下宿を変えましたが、どこからでも比叡山の山並みを一望することができました。静岡の人が富士山を当たり前のようにいつも見ているように、京都にいた自分にとっての当たり前の景色が比叡山の山並みです。間もなく京都も紅葉の時期を迎えます。比叡山の山並みが、まるで絵画で描いたように赤やオレンジに色づいていきます。初めてその紅葉を見た時の感動は、今でも覚えています。
この比叡山には天台宗の総本山延暦寺があります。日蓮聖人も若かりし頃学ばれ、その地は現在では定光院という日蓮宗の宗門史跡になっています。そして、この延暦寺を開かれた伝教大師最澄さんの言葉に、「一隅を照らす」という言葉があります。
「一隅」とは、「目立たない片隅」や「世の中の隅」であり、「一人一人が自分のいる場所で、自分ができることで明かりを灯せば、その明かりが積み重なって全世界を照らす」というのがこの言葉の理念です。
ちょうどこの原稿を書いていると、大谷選手のとんでもない大活躍がニュースで流れてきました。先発投手として投げては一〇奪三振で無失点。打てば三本のホームラン。世の中にはそんな大谷選手のような特別な人もいます。しかし、ほとんどの人がそうではありません。最澄さんは、自分ができることを懸命にすることでやがて周りを明るくし、社会全体を照らしていく。そんな一隅の人々こそが、国を支える宝であるとおっしゃっています。
この秋にそんな「一隅を照らす」と思った二つの出来事がありました。第一は、世界陸上東京大会・女子五千メートル予選です。レース展開がスローペースだと日本選手はラストスパートで分が悪い。ならば自らペースメーカーを務め、田中選手の決勝進出をアシストした選手がいました。第二は、長男の高校野球の試合です。先日の秋季大会で公立高校で唯一ベスト十六に残りました。野球推薦もなく、部員数は二〇名ほど。出ている選手はなんとかして一つのアウトを取り、なんとかして次に繋いで塁に出ようとする姿。また、監督、コーチ、控え選手、マネージャー等の献身的な姿も試合を観戦しながら目の当たりにしました。
比叡山の木々を一本一本間近で見てもさほど感動しないでしょう。しかし遠くから見た時には、その色合いが積み重なって山全体を真っ赤に照らしていきます。「一隅を照らす」。とても良い言葉だと思い、今回紹介いたしました。
本覚寺副住職:加藤智章
