仏事に関するFAQ

ホーム/仏事に関するFAQ
仏事に関するFAQ2019-01-20T16:54:05+09:00

仏事(法事・葬儀・仏教・お経)に関するFAQ

生活環境の変化とともにお寺を取り巻く環境も変化しており、最近では、宗教離れ・寺離れ・葬儀離れといった言葉を耳にすることが多くなりました。

確かにそのような傾向は、現在よりも今後より色濃くなっていくものと思われます。

しかし、僧侶として檀信徒の方々のお話をお聞きすると、仏教は生活に密着したものだから仏教に対して色々と興味があるというご意見もございます。むしろ色々と聞きたいのだが、誰に聞いていいのかわからないというのが実情なのではないのでしょうか?

そのようなご意見を踏まえ、檀信徒の方々から日頃寄せられたご質問をこのページにてご紹介したいと思います。

なお、本ページを作成するにあたり以下の文献を参照いたしました。

市川智康『仏教質問箱-いざというとき役に立つ』,水書坊,pp.318.

2年後が3回忌2017-06-07T17:08:52+09:00

2年後が3回忌?

法事と法要の違いというものはあまり意識することはないとは思いますが、亡くなった後の法事(もしくは法要)でよく勘違いされるものに、3年後が3回忌であると思われている方が多くおります。

一周忌のみが一年後で、それ以降3回忌、7回忌、13回忌、17回忌等、3と7の数字がつく時が年忌法要となりますが、一周忌までが『周忌』であるのに対し、3回忌以降は『回忌』となります。

ここで『どうして2年目なのに3回忌なの?』という質問をよく聞かれますので、その理由を明記しておきます。

年忌の考え方は、次のように考えるといいでしょう。

まず「お葬式」が、すでに第1回目の「命日」の法要であると考え、数に入れるのです。従って「一周忌」は2回目の忌日ですが、この時だけは「一周忌」という言い方をし、「2回忌」とはいいません。しかし2年目の法事は、数えて3回目の忌日なので「三回忌」というのです。

以後、7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌とおつとめしますが、いずれも「お葬式」を含めて、数え年でかぞえます。仏教では何事も数え年でかぞえるのが基本です。

青山社『寺報・はがき・行事案内 文例事典』p.136

法事と法要の違い2017-06-07T17:06:58+09:00

法事と法要の違い

僧侶になってから十数年。これまで『法事』と『法要』の両方の言葉を同義語と思っておりました。

しかし、法事と法要とでは厳密には異なるようです。

まず、法要とは、お経をあげてもらい追善供養を行うことです。

一方、法事とは、先の法要に加え、会食がある場合のことを法事と呼ぶそうです。

お盆精霊棚の飾り方2017-06-06T10:41:29+09:00

はじめに

今年もお盆の時期が近づきました。初めてお盆を迎える方々から「お盆の飾り(精霊棚)はどうしたら良いの?」というご質問が寄せられるようになりました。各御家庭により仏壇の大きさや間取り等が大きく異なる為、その回答に苦慮しておりました。しかし、「論より証拠」と思い、昨年の棚経の際に、何軒かの檀家さんのご協力を賜り、精霊棚の参考例を写真として掲載いたしましたので、是非ご覧下さい。

精霊棚の飾り方

この時期に一番多い質問である精霊棚の飾り方についてご説明いたします。但し、各御家庭の住宅事情により飾り方は異なりますので、あくまでも参考として御覧下さい。

お盆精霊棚の飾り方例

お盆精霊棚の飾り方例

  1. キュウリの馬とナスの牛

キュウリの馬は、お亡くなりになった先祖の精霊が少しでも早く帰ってきて頂くために、他方、ナスの牛は、ゆっくり戻っていただくためにお供えします。

  1. ほおずきと笹竹

精霊の道案内となるよう、灯明の代わりにほおずきを吊るします。笹竹に張られた縄から内は、この中に精霊が来られるという結界を表します。なお、もともと農家であった方の精霊棚には笹竹を飾られていることが多いですが、マンション等にお住まいの方は、仏壇の上部にほおずきのみを飾っていることが多いようです。

  1. 水の子・ミソハギ

キュウリやナスを賽の目(四角形)に切って蓮の葉の上に盛る「水の子」は、餓鬼に対する施食の意味があります。また、水を入れた器に「ミソハギ」を添えておくのは、灑水(しゃすい)供養の為です。これは煩悩を鎮める為だといわれています。

  1. 真菰(まこも)

精霊棚には荒筵(あらむしろ)や真菰(まこも)などのゴザの様な敷物を敷きます。

精霊棚の参考例

精霊棚の参考例を上記に掲載いたしました。

なお、上記の写真に掲載されている提灯は、新盆提灯ではなく例年飾る盆提灯です。かつては親戚の方々が新盆供養として新盆の方に盆提灯を寄進していましたが、現在では現金でのやりとりが一般的であり、精霊棚前の提灯は一対または一基のみの例が多く見受けられます。

お盆精霊棚飾り例
お盆精霊棚飾り例
お盆精霊棚飾り例

新盆提灯

初めて迎える新盆の時のみ飾る提灯が、『新盆提灯』となります。初めて帰ってくる故人が目印となるように玄関先に白い提灯を飾ります。通常の盆提灯と異なり、質素な作りです。仏壇屋さんで2,000〜3,000円程度で購入できます

新盆提灯
方便品第二 十如是の繰り返し2016-12-09T14:38:43+09:00

方便品第二とは?

お釈迦様は三十歳で悟りを開いてから、八十歳で御入滅されるまでの五十年間に様々な教えを説かれ、その教え(=お経)は八万四千ほどあるといわれます。日蓮宗では、お釈迦様が本当にお説きになりたかったことは、晩年八年間に説かれた妙法蓮華経(略して法華経)に示されていると考え、法華経を経典として位置づけております。

法華経は全体で二十八品(「品」とは現代語の「章」、英語では「chapter」の意)で構成されております。その法華経の中でも、特に重要と考えられているのが、第二章である方便品第二と、第十六章である如来寿量品第十六です。法要の趣旨などにより読むお経も適宜異なりますが、どのような法要・葬儀であっても、日蓮宗のお寺であれば、この二つのお経を読むことが多いです。

「嘘も方便」という使われ方が、方便という言葉の最も一般的な使われ方であると思われます。方便品第二では、お釈迦様のそれまでの教えは、皆を本当の教えに導くための仮の教え、すなわち方便であり、これからお釈迦様の本懐(本当に言いたかったこと)が説かれますよというような位置づけとして解釈されます。

十如是とは?

以上のことを念頭に置きつつ本題に入ると、方便品の最後の経文には、「如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等」、いわゆる「十如是」と呼ばれる部分があります。「門前の小僧習わぬ経を読む」の如く、私自身、字が読めない時からお経を耳で聞いていつしか覚え、自然とお経を唱えてきました。その為、十如是の部分は三回繰り返すものとしてこれまであまり気になることはありませんでした。

しかし、何故三回繰り返すのかと問われれば、そこには何らかの理由があるはずです。色々と調べた結果、その理由を説明するには自身の言葉に咀嚼して説明するには難しいと判断いたしました。

そこで、以下では大本山池上本門寺発行『池上』2012年9月号pp.20-21を引用し、その理由をご紹介いたします。

なぜ十如是を三回繰り返すのか?

さて、ご質問の「所謂諸法 如是相 如是性 如是体 如是力 如是作 如是因 如是縁 如是果 如是報 如是本末究竟等」の部分ですが、これはお釈迦様が、この世界のあらゆる物事(諸法)の有り様を「相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等」という十のカテゴリーに分類して説かれたもので、それぞれに「如是」という語が付されているので「十如是」と言われます。

相とは外面の形相、性とは内面の本性、体とは相や性を統一する主体、力とは体が備える潜在的能力、作とは力が外界に現れて動作となったもの、因とは原因、縁とは因を補助する間接原因、果とは因と縁から生じた結果、報とは因果によって生じる報果、本末究竟等とは相から報までの原理は一貫しており、その帰結するところは同一であるということ。(小松邦彰・冠賢一「日蓮宗小事典」より)

例えば、植物の種に当てはめると、種の色や形が「相」、内面の、やがて植物になるという性質が「性」、その色形・性質を備えた種全体を「体」、種が実を結び、再び新たな種を宿す、その内に秘めた能力を「力」、芽を出すことで外界に働きかけ始める動作としての「作」、種自身が植物になる原因であるという意味で「因」、成長に必要な土や水などの諸条件も種の一部と見なす「縁」、花が咲き、実を結ぶという「果」、花を見て人が喜び、実を食べて鳥が生きるなど、他への影響としての「報」、以上の九つが差別なく等しくひとつの種に備わっている意味の「本末究竟等」。このように理解することができると思います。

そして、その部分を三回繰り返して読むのは、天台宗の開祖である天台大師智顗(五三八~五九七)が「法華玄義」という法華経の解釈論の中で、十如是に「空諦・仮諦・中諦の三諦」という意義をあてられたからです。「諦」とは、真理・真実という意味で、空諦とは、あらゆる物事には永久不変の固定した実体・本質というものはなく、相互の関係性において千変万化するということ、仮諦とは、あらゆる物事は、その状況や因果関係において、様々な要素が仮に集合して“あたかも実在しているかのように”見なすということ、そして中諦とは、その空諦と仮諦のどちらにも極端に偏ることなく中立に物事を見るということです。

天台大師は、物事の有り様である十如是に、「世界を見すえる三つの視点」である三諦を配され、仏道の修行においては、こうしたものの見方が重要であると説かれたのです。このような意味で、方便品の十如是の部分は三回繰り返して読まれるのです。

空諦だけでは、世界が空しく見えてしまい、自ら能動的に行動する意志が持てなくなってしまいます。仮諦だけでは、変わらず実在し続けるかに見えるものに執着し、やがてそれが失われることに苦しむことになります。どちらも真理でありますが、一方に偏ることなく、バランスよく世界を見る。方便品を読む度に、そこに込められた意義を噛みしめたいものです。

お盆の由来とお盆の時期2019-01-09T14:56:08+09:00

お盆の由来とお盆の時期

もともとお盆とは、亡くなった親を思う心からはじまったもので、お釈迦様の十大弟子の目連尊者のエピソードに由来します。

目連尊者は弟子の中でも神通力第一といわれ、亡くなった母親のことが気になり、ある時その神通力で母親の行き先をたずねました。すると、母親は餓鬼道に落ちて苦しんでおりました。お腹は太鼓のようにふくれ、手足は骨と皮だらけ、喉は針のように補足、顔はいまにも目玉が飛び出さんとしているような状態です。

それを見た目連尊者は、母親を救おうとお釈迦様に相談すると、雨安居(雨期の修行)が終わる7月15日に、大勢のお坊さん達に供養をしなさいと教えられました。そこで、お釈迦様の教えに従い、お坊さん達に供養を施したところ、母親は餓鬼道から逃れることができた。それがお盆のはじまりといわれております。

旧暦から新暦への暦の切り替え

以上の目連尊者のエピソードから、かつてお盆は7月15日を中心とする時期に行われておりました。しかしながら、明治時代になると暦の切り替えが行われ、そのことが現在のお盆の時期に影響するようになりました。

江戸時代までは月の満ち欠けを基準とする太陰暦を使用しておりましたが、明治時代になると政府は国際基準である太陽暦を採用するようになりました。

すると、これまで太陰暦(旧暦)で行っていたお盆や他の年中行事をどうするかという問題が生じるようになり、地域によって対応は異なりました。

明治政府の置かれた東京では政府の指示に従い、お盆を新暦(現在)の7月に変更して実施するようになりました。

一方、沖縄などの地域では、お盆の時期を新暦へとは変更せず、敢えてこれまでと同様の旧暦のまま行い、現在へと至っております。

両者の折衷案が8月盆となります。一度は新暦の7月15日に行ったものの、これまでのお盆とは1ヶ月異なることから、なるべく時期を合わせようと日程を1ヶ月遅らせお盆といたしました。また、7月盆の時期は農作業の繁忙期と重なるため、新暦の7月盆が国民の生活になじまなかったことも影響しているようです。そのため8月盆は、『月遅れのお盆』とも呼ばれております。

お盆の名称と時期区分

お盆の名称 時期 地域
7月盆 新暦(現在の暦)で7月13日~15日 東京・横浜・静岡・東北
8月盆 新暦(現在の暦)で8月13日~15日 全国的な地域
旧盆 旧暦(月の満ち欠けを1ヶ月とする太陰暦)で7月13日~15日。旧暦なので、現在の新暦での日程は年によって異なる。 沖縄等

参考文献

  1. 市川智康著 『仏教質問箱』 水書房.
  2. 青山社編集部編 『日蓮宗仏事故事便覧』 青山社.
  3. 藤井正雄著 『盂蘭盆経』 講談社.
法事と六曜?2019-01-09T14:57:50+09:00

法事を行う日を決める際によく質問されるのが、六曜(友引・仏滅・大安・先勝・先負・赤口)を考慮した方がいいのか否かというご質問です。

六曜に関する一般的なイメージ

六曜の中でも友引は、言葉の意味合いとして「友を引いていく」イメージが強くあるようです。確かに、友引の日に葬儀を行うことが出来ないのが一般的でありますが、これは火葬場が休みという理由からです。以前福岡のお寺に伺った際に、その地域では友引であっても火葬を行えるので、友引であっても葬儀を行っているとのことでした。

一方、大安は、「大きな安らぎが得られる」という意味合いから、結婚式などの御祝いをする際に好んで選ばれる傾向が強いです。そのため、大安の時には結婚式の申込が集中し、中には結婚式場の費用が高く設定される場合もあるそうです。

逆に、仏滅の日は、仏さんが亡くなったのだから縁起が良くないとのイメージもあるようで、仏滅の日に慶事を避ける方もおられるようです。

六曜誕生の歴史的背景

では六曜はどのような理由から誕生したのでしょうか?六曜は暦の中では比較的新しいもので、中国の唐時代の暦算学者李淳風がつくった「六壬時課(ろくじんじか)」を起源とします。最初は時刻を占うものでしたが、後世になりを占うものへと変化しました。六壬時課の吉凶を示せば次のとおりです。

  • 留連(りゅうれん)・・・事成り難し・・・・・友引
  • 速喜(そっき)・・・・・速やかに来臨す・・・先勝
  • 将吉(しょうきち)・・・もっとも右昌なり・・先負
  • 空亡(くうぼう)・・・・事長からず・・・・・仏滅
  • 大安(たいあん)・・・・大吉昌なり・・・・・大安
  • 赤口(しゃっこう)・・・口舌を主る・・・・・赤口

その後江戸時代になると、この六壬時課の名称が、現在のような六曜(友引・仏滅・大安・先勝・先負・赤口)へと変化し、幕末の天保の時代になると広く一般へと浸透していきました。中国の六壬時課と日本の六曜との対応関係は上記のようになります。

日本での友引は、中国では留連と対応関係にありますが、なぜこのような対応関係になったといえば、

りゅうれん」の音がなまり→「ゆういん」→「友引(ともびき)

となったそうです。そもそもの留連の意味合いは、『進みもしないし、引きもしない、陰陽いずれとも勝負なし』ですので、現在よく言われるような「友を引く」という意味とは全く関係ないことがわかります。

また、仏滅についても、

「空亡」→「虚亡」→「物滅(ぶつめつ)」→「仏滅」

と言葉が少しずつ変化したことに起因しております。従って、仏滅は仏教には全く関係のないこととなります。

なお、仏滅に関しては逆に縁起が良いのではないかという解釈もあります。なぜなら仏教徒にとっては、仏様が入滅されたのはむしろ完全な涅槃に入られたことから、むしろおめでたいというように考えられるからです。

では、気にしなくていいの?

以上のことから、法事の日程を決める際には六曜を気にしなくてもあまり問題がないといえます。本覚寺では法事の日程を決める際には「六曜を気にするよりも、むしろ故人の関係者が最も多く集まれる日を選ばれてはいかがですか?」とご提案しております。法事の本当の意味合いは故人のことを偲ぶことが第一義であるとするならば、多くの方々が集まって菩提を弔うことが大事であると考えます。

線香の本数と焼香の回数は?2014-06-26T12:24:48+09:00

線香の本数とお焼香の回数についても数多く質問を受けます。

まず線香の本数ですが、宗派や地域によって異なるのですが、日蓮宗では3本というのが一般的となっております。3本の意味合いとしては、①仏(お釈迦様)、②法(お釈迦様の教え・日蓮宗では法華経)、③僧(教えを広める僧侶)への帰依を表します。なお、人数が多い場合には3本ではなく、1本のみを立てるということもあります。

次にお焼香の回数ですが、日蓮宗の場合には正式には3回となります。但し、現在では通夜・葬儀の時には葬儀社の方から「1回焼香でお願いします」との指示があることが多く、状況に応じては心を込めて1回のお焼香となることもあります。

焼香の手順を示せば次のとおりです。

  1. まず、自席より前に進み、法事の導師(僧侶)に対して一礼いたします。
  2. 次いで、焼香台の前にて御宝前に向かって一礼いたします。
  3. お焼香を3回し、故人のご冥福を祈り一礼いたします。
  4. 最初に一礼した場所(1.の場所)へと進み、導師(僧侶)に対して一礼します。
  5. 自席へと戻ります。
仏壇の向きは?2014-05-29T13:30:02+09:00

初めて仏壇を新調した方やお盆の棚経の時によく聞かれる質問が、「仏壇の向きはどの方角を向いているのがいいのでしょうか?」という質問です。結論から申し上げますと、できるならば”南向き“か”西向き“となります。

南向きが良いという理由は、中国からの言い伝えからによるものです。中国では天の中心が北斗七星のある北方という考え方があり、国を治める皇帝は天の中心である北を背に政治を行うという「王者南面」という風習があります。よくよく考えてみますと、日本の政治の中心であった京都では街全体が碁盤の目のようになっておりますが、その中心である御所は南向きです。京都では東が左京区、西が右京区であるのもこの影響があるそうです。本覚寺の本堂も南向きを向いておりますし、宮殿やお堂なども南向きであるのは、この中国からの影響を受けてのことです。

西向きが良いとい理由は、日蓮宗が経典とする法華経の教説によるものです。お釈迦様が霊鷲山にて法華経を説かれた時に宝塔が現れます。その宝塔の中に座っていた多宝如来は自らの座をあけてお釈迦様をお招きし、お釈迦様と多宝如来の2仏が宝塔の中で並びます。この宝塔は東方に出現したことから、お釈迦様と多宝如来は、東を背にし西を向いて座っておられます。この場面を踏まえますと、仏壇も東を背にし西側を向くことが望ましいこととなります。

なお、一般的には「仏壇は南向きか東向きが良い」との説もございます。この考えは、西方の極楽浄土の阿弥陀如来をご本尊とする浄土宗や浄土真宗の浄土系の宗派の考えによるものです。

法事の時の並び方は?2014-05-30T01:20:18+09:00

法事の時に最も聞かれる質問が、「並び順はどうしたらよろしいでしょうか?」です。

一般的に参列者の方の座席は、本堂の正面である御宝前の左右に配置されております。参列者の人数と座席の数によって状況は異なるのですが、御宝前に向かって右側から順に座っていただき、席が一杯になった場合には、御宝前に向かって左側の席にも座っていただくこととなります。時に区切りが良い時には、右側が喪主・お子さん・お孫さんで、左側には故人の兄弟や従兄弟というケースもございます。

しかし、家族構成も人数も各家庭によって異なりますので、必ずしもこの並び方でなければいけないというものではありません。御宝前に向かって右側から徐々に左側へと故人との関係の深さが弱くなっていくというのが基本となります。

大凡の目安として、座る順番は次のようになります。

  1. 喪主(故人の妻、夫、長男等)
  2. 生計を共にしていた故人の子供達
  3. 姓の変わった故人の子供達
  4. 故人の両親
  5. 故人の兄弟姉妹
  6. 故人の妻の両親
  7. 故人のおじ・おば・従兄弟・従姉妹
  8. 友人・知人