平成29年8月 本覚寺寺報

本覚寺寺報

先月十七日に自身が住職である習志野市海徳寺にて施餓鬼会法要を行いました。

法要に先立ち、秋田県横手市妙倉寺副住職山田恵隆上人に法話をお願いいたしました。山田上人とは互いの祖父の代からのお付き合いで、そのご縁を頂戴し、祖母が秋田から松戸へと嫁ぎました。私の祖母が秋田訛りであったことは幼少の時に何となく気がついていましたが、そのご縁を知ったのは、祖母が亡くなってから十年以上経過してからのこと。今月がその祖母の祥月命日です。孫の代になってもそのご縁が脈々と継続していることをきっと喜んでくれているものと思います。

さて、山田上人からの法話に、『終活』についてのお話がございました。秋田では、『結婚式の仲人と葬儀の喪主を務めることでようやく一人前として認められる』という考えがあることをご紹介されました。そして、テレビやマスコミで『終活』という言葉が脚光を浴びている昨今、『終活』があまりにも行き過ぎの面があり、全てを自分達で整理しすぎる傾向にあることを危惧されておりました。

確かに、もしものことがあった時に、お葬式、お墓、相続等で残された家族に迷惑をかけないようにという心情は、親心として首肯できます。しかし、親の死という現実に直面し、残された家族が奔走するからこそ、今まで気がついていなかったことに気がつくことがあるのではないでしょうか?

そうはいっても、終活することを決して否定しているわけではありません。なかにはお子さんがいないので先々のことを心配される方も多く、墓地や葬儀のことを心配することは当然のことであります。加えて、このところ葬儀社を巡るトラブルのご相談も増えております。皆様に安心して頂くことがお寺の役割であると考えておりますので、些細なことであっても気兼ねなくご相談下さい。

日蓮聖人が『臨終の事を習うて後に他事を習うべし』というお言葉を遺されてから七百数十年。現在であっても、実に含蓄に富んだお言葉です。

(本覚寺副住職・加藤智章)

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