平成30年3月 本覚寺寺報

本覚寺寺報

私たちの心の中には、貪りや愚痴など嫌な部分もありますが、誰かの役に立ちたいと願う良いところもあります。それが仏心です。

しかし私たちは自分自身のなかに仏心があることを忘れがちです。

《私》という 漢字を見つめてみましょう。《私》の《禾》から「一(イ)」と「八(ヤ)」のイヤな心を除くと《仏》という漢字が残ります。

つまり《私》の字には《仏》が内在しているのです。この隠れた仏心を呼び起こすのが合掌です。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

普段何気なく『自業自得』という言葉を使っているのではないでしょうか。その際、多くの方は、何か悪いことが生じた時にのみ使っているような気がいたします。例えば、全く勉強せずにテストに臨んだ結果、試験の成績が悪かった時などです。

しかし、本来の自業自得とは悪いことだけではなく、善い行いをして善い結果が生じた場合にも使うのです。先の例の逆のケース、すなわち、一生懸命勉強しテストに臨んだ結果、試験の結果が良かったという時にも、自業自得といえます。

自業自得の『業』とは、サンスクリット語の「カルマ」という仏教用語を漢字にしたもので、日本語に訳せば「行為」や「行い」となります。仏教では、ある結果が生じたのは、ある原因からであるという因果の法則を説きます。そのため、結果の善悪に関わらず、自分で行った結果を自分で得るということが、そもそもの自業自得の意味となります。

「私」という漢字のなかに「仏」が隠れているように、普段使っている言葉の中にも私達が気がついていないことが数多くあるように思います。物事がうまくいかずに投げ出したいことがあっても、自分の行いは間違いなく自分に返ってきます。だからこそ、自業自得の言葉どおり、自分の行いを信じて頑張れば、道は必ず開けるはずです。善い意味での自業自得となるよう、善行を積みたいものです。

(本覚寺副住職・加藤智章)

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