本覚寺寺報
「火の如き信仰」「水の如き信仰」と聖人はよく申されます。燃えさかる信仰も大切であるが淡々と流れ続ける信仰こそが肝心であると。流れるとは自身のみならず次代に繋がっていくことも含まれているのです。
近頃「信仰は自分一代のもの。子や孫に強制するつもりはない」と言われる方もおられます。一見物わかりがよさそうですが、信仰とは生きる上での土台となる何物にも代え難い遺産です。それをどうして次に譲ってあげないのでしょうか。今一度熟慮してみてください。
出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』
二月十日に日蓮宗の大荒行堂が終わりました。今回の荒行には、自身の親戚でもある宮城県岩出山本還寺の御住職が五回目の修行を成満されました。そして、その修行の終わりを奉告する本還寺での帰山式に参列する機会を頂戴いたしました
私自身加藤の姓を名乗っております。しかし、そもそも祖父加藤錬明(号・雲洞)上人は、岩出山の熊谷家の生まれです。縁あって本還寺開基檀越である加藤家の養子となります。出家をした後に身延山久遠寺にて学び、当山本覚寺の住職となります。その為、自身のルーツを辿ると、もともとは宮城県の出となります。
親戚寺といってもなかなか行く機会はなく、本還寺に行ったのは今から三十年近く前のことです。当時のことはおぼろげがながら覚えていますが、久しぶりに行って感じたことは、口にしたお米や味噌汁等がとても美味しく、「水が合う」というのはまさにこのことを言うのだろうという思いでした。
さらに、お参りして気がついたのは、本還寺の歴代住職に祖父の名前があることや、本還寺の檀家さんの中に祖父のことを知っていただいている方がおられたことです。
今回の帰山式で、過去から現在までの自身のルーツを実感いたしました。そして、本還寺にて無邪気に雪で遊ぶ子供の姿を見ながら、「水の如き信仰」という日蓮聖人の言葉を思い浮かべました。
(本覚寺副住職・加藤智章)