日蓮宗 大本山 清澄寺 -出家得度・立教開宗の地-

旭が森日蓮聖人像

旭が森日蓮聖人像

千光山清澄寺

【所在地】〒299-5505 千葉県安房郡天津小湊町清澄322−1

日蓮聖人が出家・得度をし、初めてお題目をお唱えした場所が、大本山清澄寺です。

小湊にて御降誕された日蓮聖人は、12歳の時に清澄寺に登山して修学、16歳の時に道善房を師匠として出家・得度いたしました。清澄寺安置の虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給え」(『破良観等御書』)という願掛けを行い、智慧の宝珠を授かるという体験をされます。当時の幕府がある鎌倉にて研鑽を積み、さらに仏教の中心地である京都・比叡山へも遊学され、20年近く諸教諸宗の教えを学ばれます。

そして、様々な研鑽の結果、『法華経』こそがお釈迦様の本懐を説いたものだと確信されます。

建長5年(1253)4月28日の早朝、故郷の清澄に戻られた日蓮聖人は、昇り来る朝日に向かって初めて『南無妙法蓮華経』のお題目をお唱えになりました。日蓮聖人32歳の時です。

さて、この清澄寺の縁起は次の通りです。(日蓮宗テキスト編集委員会編『仏教の教え-釈尊と日蓮聖人-』p.157を引用)

清澄寺は光仁天皇の宝亀2年(771)に不思議法師が開創したが後に中絶し、承和年間(834〜848)に慈覚大師円仁が再興したという。さらに嘉保3年(1096)雷火により伽藍を焼失したが、国司源親元が再建したと伝えられる。安房国屈指の寺院であり、聖人の頃には天台宗であったが、後に真言宗に転じた。昭和24年(1949)には、関係者の尽力により日蓮宗に改宗している

清澄寺にて初めて参詣したのは、自身が小学生4年生の時の度牒交付の時でした。その後何度か清澄寺に行きましたが、昔から日蓮宗のお寺だと思っておりました。しかし、実際には、天台宗→真言宗→日蓮宗というように改宗して現在に至っていることは驚きでした。確かに摩尼殿の内部には梵字主体の装飾がある等、日蓮宗の一般的な寺院の内部とは異なる点があり、真言宗であった時の名残が今でも残っているものと思われます。

また、上記引用箇所の近くには自身のメモ書きで『道善房 清澄寺の住職ではない』と記されていました。このメモは、身延山大学での講義の際に先生の言葉を書き込んだものです。ふとこのメモに目をやり、「日蓮聖人はどのような経緯で道善房のお弟子さんになったのかな?」との疑問が生じました(注)。

注:ネットを調べてみると、道善房=清澄寺住職という記述も散見されます。何が正しいのか確証はありませんが、自身がメモしたのは、大学の先生が発した言葉に間違いありません。道善房=清澄寺住職という先入観を持っていたからこそ、「え、そうなの?」という意外性に驚きメモした次第です。

清澄寺内

-本覚寺第1世加藤雲洞上人書-

かねてより祖父の書いた字が清澄寺にもあるということは師父から聞いておりました。しかし、清澄寺のどこにあるのか全く知らずに歳月が過ぎておりました。昨年の檀信徒研修道場のお手伝いで伺った時に、ふと歩いていたら祖父の書いた字が目に止まりました。そして思い出したのが、そういえば『道善房の墓所の字がそうだ』という師父の言葉です。

墓所内の字を見た処、様々な石碑・石塔の全ての字が祖父のものではなく、一つの石塔であっても、一部は他の人が書いた字も入っていました。ただし、字の彫り方で、祖父の字のようなそうではないような箇所もあったので、今回は明らかに祖父の字である箇所のみ写真にて掲載いたします。