日蓮宗本山 妙嚴山 本覚寺
【所在地】〒248-0006 神奈川県鎌倉市小町1-12-12
はじめに
当山本覚寺と同一の呼称である「本覚寺」のなかでも、鎌倉の本山本覚寺が最も有名な本覚寺かもしれません。
初めてお参りしたのは、今から3年前の平成29年の秋の頃です。JR鎌倉駅からも歩いてわずかの距離であり、とても利便性が高いお寺でした。
本山であることや、当山と同じ潮師法縁であることと程度の知識はありましたが、今回改めてその歴史を調べてみました。
縁起
以下では、『日蓮宗本山めぐり 日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて』に依拠しつつ、その縁起を記します。
日蓮聖人が佐渡流罪を赦免されて鎌倉へ戻った折、身延山へ出立するまでの40数日間滞在された由緒寺院である。JR横須賀線の鎌倉駅に近く、「日朝さま」と親しまれている。
文永11年(1274)3月13日、聖人らは佐渡一谷を出立、真浦から乗船、寺泊港を目指したが流され、柏崎に漂着した。陸路、越後・国府・善光寺を経て3月26日に鎌倉に到着した。滞在されたのは鎌倉初期から由緒深い夷堂という。源頼朝が鎌倉幕府を開いたとき、守護神を各方面に祀ったが、その一つがこの夷堂であり、当山の前身である。
蒙古襲来の気配のなか、聖人の他国侵逼難の予言的中を重くみた幕府は、4月8日、聖人を評定所に召喚。龍口法難・佐渡流罪の中心的人物であった平左衛門尉頼綱と対面した聖人は、第3の国諌をされたがまたしても聞きいれられなかったため、「3度諌むるに用いずは山林に交われ」との故事に従い、5月12日に鎌倉を出立、身延へと向かわれた。
日蓮宗本山めぐり 日蓮聖人とお弟子たちの歴史を訪ねて
創立は永享8年(1436)。身延門流の日出上人は伊豆の三島開教の後、同年に鎌倉の天台宗宝戒寺心海と法論して勝った(永享問答)。しかし、ときの鎌倉御所足利持氏の怒りをかい、法難の危機に瀕したが、逆に帰依を得て当地を拝領、本覚寺を創建した。
2世日朝上人は寛正2年(1461)に身延山11世となって祖山を大復興。当山に日蓮聖人のご分骨を泰安。以来、「東身延」と称されるようになった。日朝上人は眼病救護の誓願を立てられたので、後に霊験あらたかな「日朝さま」と呼ばれ、信仰を集めるようになった。江戸時代には当山の眼病救護の霊験にちなむ歌舞伎『お静礼三』が河竹黙阿弥によって作られた。文久2年(1862)に諸堂焼失したが復興して現在に至る。
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