平成27年秋号 本覚寺 寺報 | 笑顔による親孝行

本覚寺寺庭婦人加藤陽光1

笑顔による親孝行

本覚寺寺報アイキャッチ(平成27年秋号)

上記の日蓮聖人御遺文『上野殿御消息』は、今から1年前の平成26年10月に、本覚寺副住職が法灯を継承した習志野市海徳寺にて毎月発行している寺報に掲載した御遺文です。つい先日、海徳寺の掃除をしていて、1年前のこの寺報が出てきました。よくよく考えてみますと、海徳寺の住職となり初めて選んだ日蓮聖人のお言葉がこの御遺文であります。

昨年の10月に、日蓮宗の総本山身延山久遠寺において住職認証式が行われ、さらにその数日後には、日蓮宗北部宗務所の行事で再度身延山に参詣いたしました。加えて、10月の中旬より中山法華経寺で行われる荒行堂の開設準備等に奔走しておりました。この御遺文を紹介した10月はいつも以上に多忙であり、上記の言葉とは裏腹に、母親とはほぼ顔を合わせることなく、日々の法務に追われておりました。

まさかの余命宣告と悩んだ末の手術

母親は9月頃から体調を崩しておりましたが、当初は夏のお盆や秋のお彼岸の疲れが原因かと考え、しばらくすればすぐによくなるものと思っておりました。しかし、10月下旬に検査入院し、その数日後、医師より末期ガンであるとの宣告を受けました。まさかの知らせに家族一同狼狽し、医師の見立てを疑いました。なぜなら、少し前まで元気な姿でいつも通りに生活していたのに、ステージ4の末期ガンであるはずがないと。

誤診ではないかと再三問合せましたが、ガンであることには間違いはなく、いずれにせよ他の臓器に転移しているとのことでした。内科医の見解では、膵臓ガンが原発でそれが他の臓器に転移している。他方、外科医の診断では、大腸ガンが原発でそれが膵臓に転移しているのではないかとの見解でした。現在では抗ガン剤の薬が良い物がでており、膵臓と大腸両方に効果がある薬を使用して、ガンが小さくなってから外科手術を行うという治療方針となりました。

しかし、実際に抗ガン剤による治療が始まると副作用が大きく、何度も吐血するようになりました。その状況を見て医師からは、吐血するのは腸閉塞の危険性が高まりつつあるからかもしれない。これ以上抗ガン剤治療を行うよりも、すぐに手術を行ったほうがいいとのことで、当初の予定を早め十二月上旬に緊急に手術することとなりました。

実際に開腹し、中の状況をみると、ガンを切除できるような状況にはなく、むしろ腸に穴が空いている極めて危険な状況だと。そこから色々なものが漏れているため、人口肛門の手術を行い、何とかその場をしのぐ為だけの処置が施されました。

後日聞いたのですが、手術を行った医師の見解では、余命三日、良くて一週間程度ではないかと。手術後に母は集中治療室に入りました。術後数日は眼を開ける事なくどうなるものかと心配しましたが、やがて意識を取り戻し、医師の見解では外れるはずもない人工呼吸器も外すまでになりました。

平成27年10月31日 加藤陽光と孫

家族交代での最期の時間

しかし、集中治療室での面会は大人のみで、母親が可愛がっていた孫達とは会うことはできず、また面会時間もかなり制限されていました。集中治療室は、常時医師や看護師さん達の目が届く為、病状が急変してもすぐに応対していただけるという長所はあるものの、何とか孫達の顔を見せてあげたいという思いもあり、集中治療室から個室へと移動することを医師に懇願いたしました。

担当医も、状況としては決して集中治療室から出られる状況ではないが、ご家族の方々が常時付き添う事ができるならば、その方が母にとってはよいのではないかということで同意してもらい、手術から一週間程して個室へと移ることとなりました

そこからの二ヶ月が、私達家族にとって、短くも濃密な母親との最期の時間となりました。父親、姉、私、二人の妹の五人で、昼と夜と交代で病室に付き添う生活の始まりです。病室に簡易ベットを二つ常設し、面会時間の終了する九時頃になると夜の当番へと交代し、朝まで一緒に過ごしました。そして、翌朝になると、昼の当番である家族と交代し、誰かが常に母親の傍にいることで、母親の要望に常に応じられるようにしておりました。

当時私自身は朝から夕方まで荒行堂の事務所を兼務しておりましたので、夜にしか病院に行くことができず、末っ子の妹も会社勤めの為、その妹と私とが一緒に夜に看病する日々が多くありました。そのような看病生活でその妹から言われたことが、『お母さんはお兄ちゃんが来ると私には見せない特別な笑顔をする』という言葉です。

加藤陽光2

母親の満面の笑顔

姉、私、妹、妹の四人兄弟の唯一の男で、かつ寺の長男という環境に生まれ、母親からは確かに姉妹以上の愛情を注がれてきたという感は否めません。自分自身の思い込みなのかなとも思っていましたが、お寺を何よりも大切に思っていた母親だからこそ、寺の跡取りとして私に寄せる期待をとても強く感じていました。

病室での母親の笑顔は、何ごとにも譬えがたい満面の笑みです。あの病室での笑顔を思い出すと、先の日蓮聖人の御遺文が頭によぎります。実は母親は、昨年十月に発行した習志野市海徳寺の寺報を誰からかもらったらしく、後日、母の遺品の中からこの寺報が出てきました。

本来は子供が親に対して笑顔で接するべきところが、私自身は母親から笑顔という布施をもらって最期の時を過ごしました。今では何でもっと笑って親孝行ができなかったのか後悔するばかりですが、と日蓮聖人のお言葉通り、母親に対して笑顔で接することができなかったのかと後悔するばかりです。もう母親に直接顔施による親孝行をすることはできませんが、毎朝のお勤めに際し母親の遺影に対し笑顔で挨拶しております。

ひまわりの約束

この闘病生活の間に秦基博さんの『ひまわりの約束』という歌にとても勇気づけられました。普段歌を聞いても、あまり歌詞の意味を考えることがなかったのですが、病院に向かう途中のラジオでこの曲が耳に入り、なぜだか自身の母親のことを歌っているような気がするようになりました。何かの折に聞く機会がございましたら、是非その歌詞をじっくりと聞いていただければと思います。

『ひまわりの約束』

どうして君が泣くの まだ僕も泣いていないのに
自分より 悲しむから つらいのがどっちか わからなくなるよ

ガラクタだったはずの今日が ふたりなら 宝物になる

そばにいたいよ 君のために出来ることが 僕にあるかな
いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部
これからは僕も 届けていきたい ここにある幸せに 気づいたから

遠くで ともる未来 もしも 僕らが離れても
それぞれ歩いていく その先で また 出会えると信じて

ちぐはぐだったはずの歩幅 ひとつのように 今 重なる

そばにいること なにげないこの瞬間も 忘れはしないよ
旅立ちの日 手を振る時 笑顔でいられるように
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部
返したいけれど 君のことだから もう充分だよって きっと言うかな

そばにいたいよ 君のために出来ることが 僕にあるかな
いつも君に ずっと君に 笑っていてほしくて
ひまわりのような まっすぐなその優しさを 温もりを 全部
これからは僕も 届けていきたい 本当の幸せの意味を見つけたから”

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