令和6年春季彼岸会法要の模様

令和6年本覚寺春季彼岸会

令和6年春季彼岸会法要

去る令和6年3月20日(春分の日)14時より、本覚寺において令和6年春季彼岸会法要を行いました。

コロナが5類に移行してから初めての春季彼岸会法要でした。状況も少し落ち着きつつあり、以前のような皆様一同に会しての法要となりました。

令和6年本覚寺春季彼岸会

不適切にもほどがある!」

副住職の法話として、現在TBSにて放送されているドラマ「不適切にもほどがある!」から考えたことをお伝えいたしました。何を話したかいつも忘れてしまうので、備忘録としてこちらに記録いたします。

不適切にもほどがある!
出典:TBSホームページより写真を印刷いたしました。

はじめに

2月の法事にて久しぶりに中学校の野球部の先輩とお会いいたしました。

先輩から、「阿部サダヲさんが出ているドラマ見ているか?どうも六中がモデルぽい感じがするから一度見てみろ」と。

このところYahooニュースにて阿部さんが出るドラマが話題となっていたり、ワイドショーの番宣で阿部さんがノックをしている姿が放送されていたので、このドラマが放送されていることは知っていましたが、まだ見ていませんでした。

俳優の阿部サダヲさんは松戸市立第六中学校の野球部の先輩となります。年齢が5歳離れているので実際には一緒には野球をしていませんが、阿部さんが野球部の先輩であることは、当時の野球部の顧問の先生からお聞きしていました。

余談になりますが、阿部さんは小学校も自身と同じ上本郷第二小学校で、南花島ソフトボールチームに所属していました。残念ながら自分が所属していた前田野菊子供会はなくなってしまいましたが、令和の現在でも南花島ソフトボールは活動しています。

ドラマの概要

このドラマで阿部さんは、中学校の体育教師でしかも野球部顧問。昭和の時代から令和の時代へとタイムスリップしてしまい、時代のギャップが見事に描かれているドラマです。その概要について詳しくは、以下のWikipediaの説明がわかりやすいです。

『不適切にもほどがある!』(ふてきせつにもほどがある!)は、2024年1月26日よりTBS系「金曜ドラマ」枠で放送中のテレビドラマ。主演は阿部サダヲ。略称は「ふてほど」。

宮藤官九郎の脚本によるオリジナル作品。阿部と宮藤が主演と脚本でコンビを組む民放ドラマは今作が初となる。

コンプライアンスが厳しい令和(2024年)とそうではなかった昭和(1986年)を舞台とするタイムスリップものであることから、令和における不適切な表現についての注意を喚起する注釈テロップが1話につき何度も挿入されており、視聴者には「恒例」として受け止められている。また、毎回終盤にミュージカルシーンが挿入されるのも特徴。

参照元:wikipedia

初回のドラマを見て

お寺に戻り、インターネットにて初回の放送を見てみました。

放送が始まって間もなくすると、阿部さんが教鞭をとる学校の校門が映され、その名は「葛飾区立第六中学校」。母校の「松戸市立第六中学校」に良く似た校名で、この時点で親近感が湧きました。

次いで、ドラマの重要な場所となる喫茶店をみて、「あれ?これ松戸税務署前の喫茶店では?」と。こちらの喫茶店には以前檀家さんが勤めていたことがあったので、何度か行ったことがあります。

さらに、阿部さんが野球部顧問として登場する場面では、練習中に水を飲むなとバテるから水を飲むなと叱る場面が。現在では脱水症になってはいけないと練習中もこまめに水分補給を行うことが推奨されています。昭和と令和とはまさに真逆の考えです。また、ケツバット、ウサギ跳び等、令和の現在では考えられないシーンが描かれ、これらのシーンを見ては懐かしさを覚えました。

その後、場面はコンビニエンスストアへと。阿部さんがコンビニにて煙草のハイライトを買おうと200円を支払います。しかし、コンビニ店員は「え?」と。昭和61年時点では170円だったハイライトは、令和の現在では520円へと。(昭和と令和とでは、お布施はあまり変わっていませんが・・・(笑々))。

また、市営バスの車内でも煙草を吸うシーンが。昔は公共のバスでも煙草を吸うことができたようです。現在は健康促進法など分煙が徹底されていますが、昭和の時代には公共のバスでも喫煙可能だったことは全く知りませんでした。

仏教の中道という考え

以上のように、このドラマではコンプライアンスが厳しい令和の時代と、そうではなかなった昭和の時代とのギャップが見事に描かれています。今考えれば、確かに昭和の時代に行き過ぎだったことは多々あったなとも思います。

しかし、このドラマを通じて、令和の現在では何かとコンプライアンスが重視され、あまりにも行き過ぎではないかという問題提起があるように思えました。

そこでふと頭によぎったことが「中道」という仏教の考えです。

一休さんの「この橋を渡るべからず」というとんち話が「中道」の例として誤解されやすいですが、実際の中道とは、それぞれに適した選択をすることです。

そのように考えると、昭和と令和の中間ぐらいが丁度良いというわけではなく、今の時代にベストな選択は何かを考え行動することが大事ではないかと。ドラマを通じてそのように感じました。

諸行無常

諸行無常
諸行無常

また、このドラマにて痛感したことが、気が付かないうちに色々なことが変化していることです。かつては当たり前だったことがいつの間にか変化し、その変化に気が付かないでいた自分がいました。ドラマで描かれた様々な場面はまさに「諸行無常」という仏教思想でした。

世の中は無常であり、全てのものが変わり移ろうということをお釈迦様は説いています。しかし、色々なものが変化するなかでも、親を思う気持ちや先祖に感謝する気持ちは変化することなく大事にしてきたいなと。

つい先日ですが、息子が高校受験でした。初めての子供の受験にやきもきしました。インフルエンザやコロナになっては行けないと心配をし、なんとか高校に合格いたしました。そこで、ふと気がついたのが、30年以上前に自分の親も同じように思っていたのだと。

そのように考えると、いつまでも親や先祖を思う気持ちは忘れてはいけないが、むしろその感謝の気持ちは以前にも増しているような気がいたします。

最後に

ドラマ「不適切にもほどがある!」を題材に彼岸会にて法話をした僧侶は、日本全国探してもきっと私だけかなと思います。

脚本家の宮藤官九郎さんが意図的に仏教的なメッセージを込めてドラマを描いているわけではないとは思います。ですが、このドラマから伝わる思想は、何かお釈迦様の考えと合い通じるものがあるなと感じています。

「寺離れ」が叫ばれる等、お寺を取り巻く環境も大きく変化し、墓じまいや家族葬等、仏事の簡略化が劇的に進展していることは身をもって実感しています。だからこそ、親や先祖を思う気持ちというのはいつまでも大切にしたいなと思いました。

そんな法話を彼岸会にて皆様の前でお話いたしました。

彼岸会法要の模様

日蓮宗 松戸 本覚寺

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