令和2年9月 本覚寺寺報

各々互いに読み聞けまいらせ給へ

本覚寺寺報

つらさや悩みは誰かにそれを話すことでやわらぎます。一方で聞く側の心の中には、何か少しでも人の役に立てたかもしれないというぬくもりが生じます。人に役立つことで自分が救われる——支え合う社会とはそんな人間の姿をいうのではないでしょうか。

《支援》とは支える縁《支縁》とも言えます。ですから支援は、する方もされる方も差がありません。それは始まりも終わりも無い円のようなものです。だから《支円》です。支援の正しい姿は、全てを《円かなる心》に導くものです。

出典:日蓮宗新聞社発行『今月の聖語』

先日のことです。妻がスマホを見てニヤニヤしておりました。あまりにもニヤニヤしていたので、「どうしたの?」と聞くと、「私はこれ面白いと思うけど、これ見て笑っていると知ったら、あなたはきっと怒ると思うよ」と。

それはとあるSNSに投稿された立て看板の写真でした。


 『夫とはとっくに心もディスタンス』


 『妻とはちょうどほどよいディスタンス』

参考 Sebastiano Tazawaさんのツイッター画像より


 ソーシャルディスタンスという言葉を、夫婦関係に当てはめた風刺看板を見て、笑いが止まらなかったようです。
 このような投稿がコロナ禍で話題となる中、日蓮宗新聞に掲載されていた記事を見て、私自身初めて気がついた漢字がありました。
 それは『憂』と『優』という漢字です。
 書くことが難しい漢字の一つとして代表的なものが、「憂鬱」ではないでしょうか。特に、下の「鬱」を書ける方は少ないと思います。その上に「憂」という文字があり、意味としては、「物思いに沈む。思い悩む。心配する」等の、あまり良い意味ではありません。 
 しかし、この「憂」の文字に「人」という人偏の部首が加わると、「優」となります。人は一人だと思い悩みがちではありますが、そこに誰かが傍に加わることに、マイナスだった状況がプラスへと好転するというものです。
 不透明な状況だからこそ、「憂」から「優」となる人の御縁を大切にしたいものです。 

(本覚寺副住職・加藤智章)

本覚寺寺報
本覚寺便り(令和2年3月号)

(本覚寺副住職・加藤智章)